第261回「変わっていくことについていけない恐ろしさ」

【質問】
 1.自分も人も世の中も、無常であること、変わっていくことに、自分がついていけないというような恐ろしさ、変わっていくことを受け入れたくない、変わって欲しくない、という気持ちがあります。いつもいつも、新しい今に、なんとか適応させて、でもそれがまた、変わっていって違う今になることは終わりはなくて、ずっと、新しいこと、未知なことを恐れている気がします。本当は、未来は、これからの変化に、期待があったり、ワクワクしたり、希望がある(それだけではないとは思いますが)はずなのに、それを、不安にしてしまうのは、悲観的だからですか。

 
 

【お父さんの答え】
お父さん:
 そうですね、時間の流れは相対的なもので、皆も感じてると思うけど、つらい時間だったら時間が遅く感じる。楽しい時間だったら、うわあ過ぎないでほしい、と思う。
 時間の流れを早く感じたり遅く感じたりします。それが普通ですよね。

 ただ、どうなんでしょう。時間が早くて追いついていけないなと思いながら焦って、時間の流れの速さを嘆くのか、時間の流れの遅さを嘆くのか、その両方ともあまり良いことではないような気がします。
 未来に対する野望、欲望、希望、プラン、期待、ワクワク感を適度に持って、適度な頑張りと適度な充実感を持っていると、時間の流れにマッチしているので、早すぎもしない、遅すぎもしない、というふうになるんじゃないかな。

 で、10年、20年のプランを立てたとして、絶対にその通りにはならないので、あまり10年、20年といった長期計画は立てないほうが良いです。
 

 第2次世界対戦後、東側諸国は10年計画などどこの国も立てて、しっかりその通りにやろうとして、結局、全部失敗しています。
 いかに未来に対する計画というものがいい加減なものか、予定通りに流れないかということは、それが示していると思います。
 今も未来学は生き残っているようですけど、偏見かもしれませんが未来学というのは事実上存在していないのと一緒です。未来のことをいくら論理的に突き詰めようとしても、誰も言い当てることはできないと思います。
 

 時間の流れというのはものすごい掴みどころのない、不思議な、なんかこう、曲面のような、隙間のような、不思議なものですよね。今の連続が未来になるんですけど、必ずしも現在から未来までが連続していって未来にならないような気がしています。

 最近の例で言ったら、コロナ禍で世界中が困ったことになっている、このようなことが起きるって、誰も想像してなかったと思います。
 起きてしまった今、様々な方面でものすごいダメージが、じわりじわり来ていますよね。経済の枠組みさえ変わらなきゃいけないんじゃないかというくらい、大きなダメージを受けている。

 しかし、コロナという細菌はどんな恐ろしいものかと言うと、一部の重体になる人を除けば、多くの人は感染しても無症状の人も多いくらいの風邪です。
 歴史的な事件には違いないです。かつてのスペイン風邪のような、大惨事が世界を襲う、というふうかと思ったら、日本での死者は他の国に較べると相対的にかなり少ない。

 日本で恐ろしいのは、コロナにかかった人が犯罪者のように吊るし上げられて、攻撃を受けることさえあるということ。風邪を引いた以上の辱めを受ける。それが今の恐ろしさだと思います。
 いつ、どこで、誰と会ったのか、そこで何をしてたのか、接触度合いは濃厚だったのか、軽度だったのか。それが問いつめられ、場合によっては公表される。それが恐ろしいこと、と感じるくらいです。

 オーストリアではですね――世の中ではオーストリアはドイツの弟と言われているらしいですね。民族的には同じ民族、ドイツの、ジャーマン民族ですよね。
 ドイツがお兄さん、弟がオーストリア、って言われる理由は、ドイツがやってからオーストリアがやる。ドイツがやってからオーストリアがやる。ドイツの後を追ってるから弟。
 ところが、今回の都市封鎖だけはオーストリアのほうが1週間だけ早かった。
 それは何かと言うと、今の首相の年齢です。今の首相、何歳だと思いますか。33歳です。若いでしょ?

 それはともかくとして、こういうコロナ禍が世界を襲うとか、誰が想像していたか。誰も想像できないですよ。誰もね。未来というのは誰も想像できないんですよ。
 でね、ただ一つ、こういう予測できない中で自分が楽しみを持つことというのは、あと自分がこの先の見えない中でそれをいい風に乗り切って自分の希望を叶えていく方法が、一つあるんですよ。
 あるんです。なんだと思います? その方法というのは。
 計画を立てることじゃないんです。
 

 心のなかで、自分がこんなふうにきっとうまくいくに違いないって思い続けること、願い続けること、希望を持ち続けること。それで希望を持ち続けることをやめないこと。
 そうすると、不思議な縁の周り、不思議な運命の回りで、必ずそうなるんですね。そう思い続けた人にはね。
 しかも機転の効く人、頭を使う人、努力する人、調べ物をちゃんとやる人、そういう人には必ずそういうふうな見返りがある――思ったとおりになります。
 こういうふうにイメージをずっと持ち続けるというのはもしかしたら難しいことで、もしかしたら才能がいることかもしれません。
 

 才能がなくてもできることは自己否定ですね。諦めの言葉。自分の夢を諦める。どうせ自分はだめだから、って言うと安心するんです。
 希望を持たない分だけがっかりしない。
 希望を持たない分だけ、努力しないで済む。
 希望を持たない分だけ、この先、失敗もないのでこれ以上の自己否定はしなくて済むという保証があると、喜んで希望を持つのをやめる人がたくさんいるんですね。
 

 希望を持つイコール、その希望が叶えられなかったときには残念という思いがつきまとうんですけど、もしかしたら、そういうことの考えがつかない脳天気な人、希望を持つことしか考えてない人というのは意外と成功しちゃうんですよ。
 成功する経営者には、ちっとも緻密なところがなかったとしても、希望だけはしっかり持ち続けている人が多い印象があります。

 もう1つ、どんなにうまくいっても、思い上がることがない。
 思い上がっているように見える大言壮語の人でも、全然思い上がっていなくて、まだこんなもんじゃない、足りなすぎるって思っている人が多い。
 

 もう1回言うと、移り変わる先の見えない中で成功するには、希望的な観測を持ち続けて、絶対に自己否定しない。
 それで、もしうまく行き始めても、決して思い上がらない。いい気にならない。
 たまたまこうなってるだけで、自分の実力ではない。神様の巡り合わせくらいに思って、さらにもうちょっと上に行きたいなと思い続ける。
 これが、未来を怖がらないで生きられるコツではないかと思います。
 

 下手に細工しなくていいです。願うだけ。
 ただ、時々、間違うことがありますね。イノシシを獲ろうと思っていたのにシカが獲れちゃう、とか。まあ、夏はシカも美味しいんですが。
 でも今度はイノシシ、と思い続ける。自分たちはイノシシを獲る才能がないとか、シカを獲る才能がない、なんて絶対に思わないんですね。

 そういうことを思うというのは、ものすごいコツが要るんです。
 いい日々を積み上げたい。ほんとにそうですよ。で、本当にそうしていくんです。
 ただ、人生は積み上がっていかない感じもします。ワープです。頑張っていると、いつのまにか積み上がる以上に遠くに行けてしまうと感じることがあります。ワープしていきます。だから、なんの心配もない。思った以上にうまくいくことが多い。
 そのワープに必要なのが、自分の希望、願い。明るくて、楽しい、自分の希望。それをちゃんと持ち続けることです。
 
 
 

(2020年8月5日 掲載)