第248回「先生になること」

【質問】
 昨日簿記の授業をさせてもらって、自分はお父さんにずっと勉強を見てもらって、勉強をやってきた経験があるから、それをそのまま言うことで、お父さんに見てもらった勉強法をみんなに伝えることができるのが凄く嬉しい。それでみんなも結構楽しんでくれている気がして、そのことが、お父さんが、なのはなで勉強して全力でやってきたことがみんなのためになったんだということが凄く嬉しかったです。
 自分は気が付いたら簿記の先生とか、ギターでも自分がやって来たことを教える、ダンスでも、気付けば先生みないな立場でやることが多くて、そういう練習では、自分が知ってること、思ってることを全部伝えようってやります。
 終わった後に、結構、まだ自分はそんな教えるにはできていないっていう、自己否定というか、今度もっとみんなに教えるにはもっといろいろ知ったり大きくならなくちゃいけないという気持ちが毎回おこっています。
 でもお父さんはいつもみんなに教えると言うか伝える立場でいるんですけど、お父さんはどんな風にして、自分を伝える立場として位置づけているのか教えてください。 (さやねちゃんからの質問です)

 

【お父さんの答え】
お父さん:
 午前中みんな、簿記の授業が凄く楽しかったと言っていて、とても良かったと思う。
 授業が楽しかったというのは、さやねは、教えるのが上手いんだと思う。
 話それちゃうけど、過去に教えるの上手いなと思った人が何人かいる、さとみがそうだし、お姉ちゃんのちひろがそうだし、ダンス教えるのが上手い。1番最初はちひろがダンスを教えてなのはなファミリーのダンスが始まった。さとみは楽器演奏を教えるのが上手い。それからゆりかはフラダンスを教えるのが上手い。
 でね、先生ごっこ療法って言ってもいいのかもしれないなというくらい、先生になると気持ちがシャンとするという面があります。
 先生ごっこというのは失礼で、ほんとに上手いんだけど、ちひろがダンスやって良いですかと言ったのはなのはなにきて1、2か月目だったと思う。ゆりかがフラダンス教えていいですかと言ったのも、なのはなにきて1か月くらいだと思う。
 さとみも割と早いうちに楽器やったんじゃないかな。不思議なのは、調子悪いんじゃないかな、と思うようなときでも、1週間に1回教えるとすると、教える時間はしゃんとしてる。少なくても1時間、1時間半はシャキンとしてる。くたってなってたのがピシッとして、アレっていうくらいしっかりするんだよ。教える立場になると。
 それで、しかもね、そういうのみんなうまくて、須原さんもさとみが教えてるのを見て、今度さとみに教え方習おうかな、なんて言ったこともあるくらい。須原さんは少林寺拳法を教えてるからね。うちの子を見てると、上手にみんなを乗せながらやってるから、俺も教え方を習おうかなというくらいなんだね。

 不思議に、教えることって、喜びが大きい。それから楽しませようってやっていて、みんなを一人も落とさずにやっている感覚とか、みんなが乗ってくる感覚とか、それがうまくいったときのやり甲斐とか、すごくあります。
 これは、本能的な喜びに根差してるんじゃないかなというくらい面白い。
 教える人になって、先生ごっこでも良いんだけど、実際にやってみたら教えるほうが伸びる、ということがあるんだよね。

 もう1つそれに関連して、思い出すことがあります。
 当時で65くらいの女性と知り合いになって、そのおばさんが占いを毎週1回、習っているというんだね。それも30年も、40年も習ってるという。それが同じメンバーで続いている10数人のサークルのその中の1人なわけ。
 そのグループには占いの先生がいます。先生いくつなのって聞いた。80いくつという。その人に40年もずっと習ってるわけ。そう、みんなメンバーが続いてるわけよ。
 あれ? って。ここで疑問が生まれる。30年も40年もかけて教わることってあるのかな? 先生は、もう10年も経たないくらいで自分の手持ちの知識や体験、全部伝えきっちゃうんじゃないかな。それが30年40年もってなんなのかな。と思って、そのことを聞いてみた。

 そしたら、いや、そうじゃないんだ、っていうことなのよ。そういうことと違うんだという。1つは、先生がいる。生徒がいる。平行移動していく。先生が成長していく。生徒と平行移動して成長するから、いつまで経っても生徒は先生を追い越せないことになる。
 その間、先生が成長するんだね。それと、何か知識を教わるんじゃなくて、そのサークルの教えられるメンバーとの関係と、その先生との関係が凄く居心地が良くて、それでそれがずっと持ち上がって何年でも続いて行っちゃう、という側面がある。

 前に取材したことあるパソコン教室でね、上手く行くパソコン教室と、すぐにお客さんがいなくなってしまうパソコン教室の差がはっきりとある。
 上手く行かないパソコン教室は、生徒がある程度上手くなると、どんどん入れ替わって、そのうち新規募集が難しくなってスーッと消えて行く。
 上手く行くパソコン教室っていうのは、ずっと生徒さんがやめないわけ。いつまでも。
 さっきのおばあさんと占い教室の生徒との関係と一緒。何をそんなに教えることがあるのというと、駄目な方のパソコン教室は、エクセルの使い方はこうこうこうです。Wordの使い方はこうこうこうです。パワーポイントはこうこうこうです。Officeの主なやつやって、それからPhotoshopの写真画像こうこうこうです。どんどん行くわけだ。で、一通り行っちゃうと、みんな、ああもうできるからいいやと言って来なくなるわけ。

 ところが長く続く教室のほうは、Wordやったら、じゃあこれを使って何々を作ってみましょうと言って、それで、手紙を書かせて、実際にどういう手紙をどう書いて、誰に出しましたか、みたいなコンテストをやったり、お絵かきソフトをやるとみんなで暑中見舞いを書いてみましょう、できたら市の図書館とか市役所のロビーとかに貼り出して展覧会を開き、みんなに見てもらいましょう。そういうイベントを次々にしていく。
 写真を学ぶと、デジカメ、スマホで撮影会に行きましょう。行ったらその写真を元に加工して、なんとかの絵葉書つくりましょうとか、そういう教えることの全部がイベントになっちゃってて、あなたのが凄くいいわねとか、こここうしたらいいのねとか、Wordとか写真だとか、他のパソコンの知識と、プリントの仕方だとか組み合わせて、いろんなの組み合わせて覚えると、こんなこともあんなこともできるのか、と応用を目の前で見る事ができて、自分が発表ができて、その交流がとても楽しい。しかもやってるメンバーの中にはセンスいい人、悪い人がいる。お互いに、あ、これは失敗だな、これは上手いなというのがわかるけど、お互いに褒め合うという心地よさもある。
 しかも公共の場に貼り出すから、孫だとか、友達にあんたこんなことやってるの、凄いのできるのね、と鼻高々。やってることがオープンになる。
 そして次のイベントを目指してみんなでやろうとなると、途中で辞めるわけにいかなくなるだんだんね。面白いし、今まで発表会とかで褒められた経験ないおじさんおばさんだから、離れ難い。だけど、パソコン教室でそれをやるといろんな人に褒めてもらったり自分でもどんどん技術が上がるのがわかる。
 よくよく考えると、これってエンドレスなんです。ただワープロを覚えたPhotoshopを覚えた、というのじゃなくて、いろんな場面あるから、場面場面で組み合わせてより良いもの作って行く。で、コンテストみたいなのに応募したりして、そうすると技術が伸びて行く。その面白さがあるので、生徒を上手くリードすることができるパソコン教室は、1回入ったお客さんが二度と出ない。入って来るだけ。っていうことになっちゃう。
 だから、物を教えるっていうのは、整理すると、知識を知ってる人が知らない人に伝えると言うのは、極当たり前の話で、本当の教えるというのは、知識を伝えるっていう場を通して、先生と生徒、先生役と生徒役の関係を深めてお互いが刺激し合ってお互いが成長するという場だということがわかる。生徒同士も成長する。それがわかれば、その関係とか、喜びを大事にしたいとなりますよね。教えるってことを通して、別の関係が生まれるってことじゃないかなと思う。

 僕はなのはなファミリーをやってて、お母さんが言うのは、なのはなファミリーで1番成長したのは、お父さんだ、と。
 あれ、僕が教えてるはずが、僕が一番、成長して行っちゃうということ。いろんなことを通して。平行移動だけどお互いに競争だよ、みたいな感じですね。
 モタモタしてたら、僕のほうが成長しちゃうよ。そういう競争っていうのがある。教わる方も競争だぞって。良い意味で。という刺激って楽しいんじゃないかな。足を引っ張るための競争じゃなくて、伸びて行く競争。
 だから教えるっていうのは、そういう喜びがあるから、はっきり言って、先生ごっこ療法で、新しく来た人には、1か月くらい経ったら何かの教師役をやってもらって、次々教室を立ち上げて行くとか。それね効果あるんじゃないかと、実は本気で思っています。
 先生をやるのは、楽しいと思うよ。

 

(2020年4月19日掲載)