そうだ、お父さんにきいてみよう!

第221回「喜び合うための全力」

【質問】
 私はこれまで大事な本番(入試や部活の大会など)前になると体調を崩していました。周囲の人は、「本番前にかわいそうに、頑張りすぎちゃったんだね」と同情してくれました。でも、私は、本番で失敗するイメージしか持てなくて、「もうこれ以上疲れたくない、がんばれない」と思って、自分で自分にブレーキをかけて逃げているんだということを自分で分かっていました。
 音楽合宿のOMTで、「私はこれまでの人生、ずっと逃げてきたけれど、今回はもう逃げたくない、最後まであるべき姿を求め続けます」と言ったとき、涙があふれてとまりませんでした。自分でもびっくりしました。
 この涙は何だったと思いますか。

 自分の答え
 これまで間違ったがんばり方をしてきて苦しかったことを認められて悔しかったことと、もうのびのびがんばれるんだと思ってうれしかったから。

 
 

【お父さんの答え】
お父さん:
 そうですね。僕は、硬式バレーでも何でも「勝て」と言っていますね、負けるなと言っていますね、卓球でも。優勝を目指せと言っていますね。
 この間も、北海道で精神科医が集まる会で質問されました。
「そうやって、一番になれ、優勝しろと尻を叩いたら、優勝できなかったとき傷つくほうへ、追い込むことにならないですか」と。そういう励まし方、持っていき方をしていいんですか、と言われました。
 いや、傷つくことにはなりませんよ、それより、どうでもいいから適当なところでやりなさいと言っていたほうがよほど、なんのためにやっているかわからなくなる、と答えました。
 僕が言っている、「優勝しろ」と言うのと、追い込まれる子が「勝ちなさい」と言われているのは、違うんだよね。僕は、優勝しろと言ってるけど、それは自分の名誉のためにとか子供の将来のための実績作りとかそんなことじゃない。
 今、自分の全力を出して、全力を出す面白さを知り、喜びを知り、全力で戦う楽しさを味わえ、一番強い敵をやっつけろ、というそういうことですよね。
 
 たまたま、講演の中で流した活動紹介ビデオに、なのはなファミリーのどろんこ相撲の場面がありました。みんな勝ちたい、勝ちたいと思っていて、絶対に負けない気持ちで相撲をとっています。
 いい加減な気持ちで、私は負けてもいいからって手を抜くようなことは、やらない。みんな力いっぱいやって、私が勝ちたいと言って投げあってる。だけど、それがすごく楽しいし、負けても楽しいし、逆に、勝って勝って泥が全然ついてない人は、ジャンプして自分に泥をつけるくらいです。
 僕が言っている「勝て」は、そういうふうにお互いに全力をぶつけ合う喜びを味わうための心構えなんです。全力を出す面白さを期待する「勝て」なんですね。それなら喜んで期待されたいし、喜んで自分にも期待したいし、喜んで全力を尽くして、それで負けても倒れても、ああ楽しかったって言える。
 それが尊いんじゃないかな、と言ったんですけどね。よくわかりました、と言ってくれましたけど。
 そういう生き方、そういう人生を常に目指しませんか、と言いたいわけです。いつでもどこでも誰に向かってもいつでも自分の全力を尽くしますよ、手を抜かないよっていうそれが楽しいんですね。

 この質問の人も、結果は求めて、そこを通り過ぎてから、それを後でどこかに使おうと思ったら苦しくなっちゃうけど、後で使うための、自分で勲章にするための勝負じゃなくて、勝っても負けても、今の自分を高めるための、自分の本当に生きがいを作るためのベストを尽くす生き方、そういう生き方の楽しさを味わっていけるんだと思ったら、それは嬉し涙も出るでしょう、と思いますよね。
 それと、今までやってきた無駄な頑張り、本当に苦しかった、結果を出さないと後で罰が待っているとか、親を悲しませることになるとか、自分が後でひどい目に遭うみたいな、そういう恐怖が後ろに控えてるプレッシャーというのは、それは耐えられなかったと思うね。そういうことを自分は今までやってきたんだと思ったらそれは本当に悲しくもなる。そういう涙でもあるかなと思います。

 だけどこれから、もう人に見せるための頑張りなんかじゃなくて、なんていうか、本当に、自分のためにと言うと変だけど、みんなのためにというか、喜び合うための全力。喜びを作り出すための全力。そういうことでやっていくということ、その嬉し涙でもあっただろうと思いますよ。
 頑張りましょう。

 
 

(2019年12月10日掲載)