そうだ、お父さんにきいてみよう!

第214回「コミュニケーション」

【質問】
 コミュニケーションをとることについて。
 作業で声を出す、みんなの中に一部として存在している、という気持ちがあれば、コミュニケーションは取れますか?

 
 

【お父さんの答え】
お父さん:
 そんなことはない。コミュニケーションって……コミュニケーションも、初歩的なコミュニケーションから、高度なコミュニケーションまであるんですよね。どこのコミュニケーションをどう取ったらいいでしょうか、ということ。カラスもコミュニケーションとってます。一羽が、カア、カア、カア。もう一羽が、カア、カア。聞いてたらわかりますよ。繰り返してる。カア。
 カラスが、「逃げろ」というのは、「グッグッグ……グッグ……」これをやるとみんなワーッと逃げます。ワシか何かに捕まって襲われて食われるときに出す。今、これを売ってる人がいます。この声を、カラス害に遭ってるところで出すとカラスが近寄ってこない。
 カラスも、「ここにうまい餌があるぞ」「カア……」そういう、コミュニケーションでしょ? そういうコミュニケーション。「皆さん来てください」「はーい!」カア、と一緒ですよ。
 もうちょっと上、もうちょっと上、もうちょっと上ってなってくると、例えば本を読む、本を書くというのも、これは、一冊分の何かを伝えたいことだから、相当のコミュニケーションなんですよ、ある種のね。文章を媒体にしたコミュニケーションで、言葉を媒体にしたコミュニケーション。いろんな通信を媒体にしたコミュニケーション、あるでしょう。
 一番高度なのは何かと言ったら、高いレベルの伝えたいことがある人が、高いレベルのことを求めてる人に伝えて、「ああ、それならよかった、ありがとう」という、こういうコミュニケーションが一番高度なコミュニケーションですよね。

 もう一回読んでみます。
「作業で声を出す、みんなの中に一部として存在している気持ちがあれば、コミュニケーションは取れますか?」
 これが間違いかどうかわかりますよね。烏合の衆の一人になったって、コミュニケーションは成立しない。
 自分が何か伝えるべきものを、高いレベルでいっぱい持っておくと、この人にはこれ、はいどうぞ、この人にはこれ、はいどうぞ、この人にはこれ、はいどうぞ、と色々コミュニケーションの伝えるべきものがいっぱい詰まっている人になる。
 コミュニケーションの上手な人は極めて多くの情報量を持っていて、極めて繊細な感受性を持っていて、その人が一番欲しがっている情報を、ハイって、伝えることができる。きちっと、欲しがっている人に欲しがっている人を情報をやり、それからアンテナ張り巡らせて、一番に必要な情報を常時、吸収している。この人が一番コミュニケーションの上手な人ですよね。

 で、僕は物書きをしているとき、先輩の物書きから、「発信者になれ」と言われました。自分の持っている情報をできるだけ色んな人に教えて、教えて、発信しまくること。
 「これは特ダネだ」ということほど、発信する。……ほんとの特ダネはまずいですけど。色んな情報を発信する人になる。いっぱい発信する。
 どうしてか――。発信している人にはいっぱい情報が集まってくるからです。発信しないで抱え込んでいる人には、情報が入ってこない。終いに持ってる情報が腐ってなくなる。
 情報というのは、常に入れたり、出したり、なんですよね。コミュニケーションというのはいつも双方向です。
 みんなのなかに一部としてさまよっているだけじゃなくて、情報収集能力は高くあるべし。畑作業で往復する間にも、車でビューンと一周りしてきたら、「あそこはもう収穫。あそこは肥料が足りない」とわからなくちゃならない。
 何も見てこなかったという人、ただ乗ってただけという人と、差があるよね。
 他の家の人の畑を見ない人も多いから、「ほら、あそこでナスこんなふうに作ってたけど」と言っても、「ナスありましたっけかね」となってしまう人がいます。
 同じ道を車で往復しただけでも、それだけ人によって情報収集量が違う、発信量も違う、分析力も違う。
 だから上手なコミュニケーションというのはそういう情報収集能力、分析力、それから感受性と、発信力に支えられるものなんです。
 的確にタイムリーにどんどん発信してるかどうか。これですよね。だから、ハッと周りを見渡して考えたとき、この人はコミュニケーション能力が高いなという人と、この人は何考えてるかわからないなという人がいるでしょ。何考えているのかわからない人はコミュニケーションをあまりしてないということになる。
 コミュニケーション能力が高い人になりたいんだったら、いつも何を考えているかわかりやすい人になる、いつもなにか新しいことを教えてくれる人になる、ということです。

 結構、情報量が多いね。(ななほちゃんを指して)
 余分な情報も、ときどきある気がするけど、でも多いことには間違いない。だからななほの日記には、りゅうさんというファンもつくんでしょうね。時々『パーフェクト』が『シャンデリア』になっちゃうことがあるよね。まあそれはいいのね、そのうちだんだん正確になっていきますよ。日記の量が多い人というのは、基本的にコミュニケーション能力は高いと考えていいです。やっぱりいま日記を書く量でベストワンはななほちゃんでしょうね。長さで言ったらね。
 問題なく、しかも、ジャグリングじゃない日記ですよね。だからそういう意味じゃ情報量が多いなと思います。情報量の多い日記というのは喜ばれますよね。
 メジャラブルだったり、具体的だったりしますからね。
 抽象的に、楽しかったですとか嬉しかったですじゃなくて、具体的なエピソードがある、情景描写がある、あるいはシーンなり説明、詳しい解説がある。そういうのってやっぱり情報量が多いし、そういう日記を書いてる人はコミュニケーション能力の高い人、ということでしょうね。

 僕はよく「ニュース性があるかどうか」と言いますけど、ご飯を食べているときみんなでコメントを回しています。そのとき誰かが言ったことの繰り返しだったら、ニュース性はゼロですよね。
 史上初めて言うこと、みんなが、へえと言うのはニュースですよね。今日の作業でも具体的なニュースというのをいっぱい発信できる人はコミュニケーション能力の高い人だと思うし、そういうニュースのある人になっていったら、人を楽しませることができるんじゃないかなと思います。
 ニュースです。人の発言の繰り返しじゃないニュースを考えると、自分の心もいつも新鮮にできるんじゃないかなと思います。

 僕は1日中、ほとんどお母さんと一緒にいるんです。ほとんどね。
 だから、お母さんを楽しませるためには工夫が要ります。お母さんが見たり、お母さんが聞いたりしていることをただ言っただけじゃ、なぞってるだけになる。いかにお母さんを楽しませるかというと、いかに情報を仕込んで得意げに面白そうにニュースとしてお知らせできるかどうかにかかっています。それでお母さんに楽しんでもらう。
 僕もみんなに対して毎日話していますけど、ニュース性がないと飽きられちゃうなと思っています。よりニュース性を盛り込めないか、いつも苦心しているんですよ。
 お母さんはラジオが嫌いなので、車の中でラジオのニュースが聞けないので、ニュースの仕込みにはいつも苦労してします。
 そういうわけで、ただ漫然とみんなの中にいてもコミュニケーションはとれていることになりません。ニュースを発信し、そしてニュースを受け止められる人になること、それが必要だ、ということです。
 
 
 

(2019年9月15日掲載)