そうだ、お父さんにきいてみよう!

第212回「アウトプットで生きる」

【質問】
 なおとさんとなつみちゃんの宣言を聞いて、自分もこのままではいけないと思いました。でも、そう思った途端に緊張して、翌日の作業がとても憂鬱になり苦しくなって、もう作業に出たくないという気持ちになってしまいました。自分は我欲だらけでみんなみたいに真っ直ぐになれない、というスパイラルにいつもはまり、良い人間になろうというやる気を失ってしまいます。どうしてこうなってしまうのですか? 私はどこを勘違いしているのですか? わからず屋ですみません。

 
 

【お父さんの答え】
お父さん:
 簡単ですよ。じゃあ質問者を僕に置き換えてみましょう。
 僕がこの人みたいに、ああ、やる気がなくなったな、責任負うのやだな、トラクター乗るのも嫌だし、なのはなファミリー行くの嫌だな、と思うことはできますか。
 できないです。できないから、僕はそういうマイナスは全く思いません、実際にね。
 その違い、なんですよ。
 みんなの中にも、自分に籠ってマイナスなことを思っていい、と思ってる人と、そう思ってはいけないという人がいる。それを自分に許してる人と、自分に許していない人がいる。その違いですね。
 自分に甘くて、いくらでも気持ちを落として、どうして私は落ちるんだろう、って悩むことを許してる人は、いくらでも悩むでしょう。そういうことを自分に許してない人は、ああ気持ち落ちた、まずいな今日は寝ちゃおうって寝ちゃったりして、立て直す。
 許していないんですから、自分にね。どうして落ちるのか、なんて考えない。落ちたかな、まずいなと思ったら、修正しようと思うわけで、落ちることを許していない。質問者は自分に甘いんです。甘ったれなんですね。意気地なしです。勇気がない。
 ほんとに、いくらでも、迷ったり、悩んだりするのが好きなんですよね。だから、自分に甘くない人は、迷ったり悩んだりしないです。

 おそらく誰も、前向きに生きることは同じくらい怖いです。誰も同じくらい疲れるときは疲れるし、やる気をなくすときはやる気をなくします。それは同じなんです。
 この間、「もう嫌だなと思っちゃうとき、どうしたらいいんでしょうか。そういう自分を許したくないですけど」って聞かれて、「お父さんだって、嫌になったら、ああ嫌だなと思うことあるよ」と言った。「お父さんでもあるんですか」って言われたけど、人間ですから、やだなと思うことありますよ。でも、やだなというのを引きずって、それで悩んだりなんかはしない。堂々と、嫌だなと思うときは嫌だなと思っちゃうけど、こんなのはだめだから、こうしますよって切り替える。

 

お母さん:
 建設的に前向きに考えて提案してくのがいいよね。

 

お父さん:
 僕の中にも喜怒哀楽があるから、嬉しいことも悲しいことも失敗もあれば残念なこともあるけど、次にアウトプットするときには、そういうマイナス要素を抜いてプラスの要素だけで行く。悲しいとか、つらいと思ってはダメだ、とはしていないです。

 

お母さん:
 今日も、朝、「2人、アウトプットでずっと若いときから生きてきたよね」って言ったところだよね。

 

お父さん:
 そうそう。だからそのアウトプットをする人間――アウトプットというか、外に表現しながら生きてきている人と、人の表現を受け取りながら生きている人がいるんです。
 「どう思いますか?」と言ってる間は、自分は聞いてる人なんですよ。「私はこう思う。私はこう思う」って発信するほうに廻らないといけない。
 人生が10秒しかないとしたら、あなたはどう思うって、聞いている間にたちまち人生はおしまいになる。人生は10秒ではないけど、やっぱり短いと思います。いつも「私はこう思う」と決めるスタンスを持ち続けないとたちまち人生が終ると思います。
 伝える人になるのか、伝えられる人になるのか、どっちを選びますかということ。
 悩む時間のある人は、暇なんですよ。人生を遠回りするの好きなんですよね。
 僕は人生を遠回りはしたくない。悩まなくていいことは悩まないし、答えの出ないことは悩まない。「やる気が無くなります、私はどうしてだめなんでしょうか」仮にそう思ったとしても僕は、誰にも言わないし、お母さんにさえ言わない。

 

お母さん:
 ん?

 

お父さん:
 いや……言ってないです。言ってないよ。あの、寝ちゃいますよ。そういうときは寝ちゃいます。で、翌日に備える。元気を出す、あるいは、運動場に向かって叫ぶとか。山に向かって叫んだりして、それで元気を取り戻して進む。こうすればいいよなんて、ないですよ。甘えるな。甘えない。誰もそうですよ。
 だから、それがね、7歳の子供とか、10歳の子供でも、こういう悩み方をする子供と、しない子供がいるということ。歳が小さいからじゃない。
 さっき言ったけど、お母さんも1歳のときも10歳のときも、12歳のときも、僕もどっちかというと教わる側じゃないです、教える側ですよいつも。子供のときから相談する人じゃない、相談を聞く側ですよ、という感じですよね。
 どっちかというとアウトプットをする側なので、マイナスの気持ちを引きずっている暇がない。そういうことをやっててもしょうがないでしょうという感じですよ。
 そうそう、こないだ、なんだっけかな、お母さんと車に乗ってたときも話した。

 

お母さん:
 お父さんがアイスクリーム屋さんをやってて。ずっとそんなことばかりだよねって。

 

お父さん:
 そうだね。
 夏休み、高校生のときにアイスクリームを売るバイトをした。それはアイスクリーム屋さんに行ったんじゃなくて、水戸市内のアイスクリームの卸屋さんに電話して、アイス売りたいので卸してくださいと言った。そしたら、だめ、だめ、だめって断られて、もう最後、これしか卸屋さんないなというところで、
「お、面白いやつだな。いいよ、来いよ」
 って言われて。それで行って、卸してもらって。それをバイクの後ろに、積んで、それで海水浴場近くの車が渋滞してるところでアイスクリームを売りました。
 それから、僕はゴルフ場でアルバイトをやった。キャディのね。コースによりますけど、コース取りの読み方と、芝のグリーンの歩き方とか、プロについてやってましたからね、ゴルフは詳しいですよ。ベテラン並みにね。芝の読み方とか距離の読み方とか。
 1日に2ラウンドくらいしか廻れないし、往復のバス代がもったいないので、その間の往復は全部ヒッチハイクで行ってヒッチハイクで帰ってきていた。
 考えてみたら、そういう子供の頃から、高校生の頃から本当に、自分が主になって、自分主体でやってきたという感じでした。ずっとそうで。お母さんも割と似たところがあってね。誰かに雇ってもらおうという気は最初からないんだよね、あんまりね。

 

お母さん:
 苦労を買って出るとか、別にヒッチハイクをしなくてもいいんだよ、そんなに貧しくないんだけど、挑戦するというところ、なにかわからないけど、似てるなと思って。
 そういう話しで、アウトプットの人なんだよねと言って、話しが盛り上がったんだよ。そしたら、ポンポン、いろんな話が出てくるんだよ。

 

お父さん:
 怖いですよ。ヒッチハイクとかも、やる前は怖いし、恥ずかしい。自分で仕入れたアイスクリームを売りに行くなんてのも、とても怖いです。だけど、そういうことを自分にあえて課してきたような感じです。
 親にやれと言われたわけじゃない。むしろ、「あんた、何やってんの」って親には言われていた。

 

お母さん:
 アイスクリームを卸してもらうのでも、だいたい断られるんだよね。個人には卸さないとか、何かの免許を持ってるのかとか、どこで売るのかとか、その許可はもらっているのかと、常識的にダメ、ダメ、ダメ、ダメって言われるだろうなって思う。でも、ダメ、ダメ、ダメって、電話で次々に言われてもくじけないで、「ああいいよ」って言ってくれる人が出てくるまで電話をかけ続ける。そういう人は、自分と似てるんだよね。大好きになるっていうか。面白いなって言ってくれる人に出会ったら、ああこの人に会いたかったんだ、って思って、すごい嬉しいよね。

 

お父さん:
 それは、なのはなファミリーをやってからでも何回も使ってるわけ。
 今、関係者駐車場に、肥料に使う牡蠣殻を山にしていますが、これを手にいれるときもすんなりいったわけじゃなかったんです。
 瀬戸内海沿岸には、牡蠣の養殖業者と漁協がたくさんあります。だけど、牡蠣殻をもらいに行けばくれるという状況じゃないんです。
 漁協に電話して、「牡蠣殻を分けてもらえませんか」と言うと、全部、断られるわけね。どうしてかというと、漁協が有機石灰の製造メーカーと契約してて、専門のトラックが来て全量、引き取ってもらうことになっているので、一般の人に流す牡蠣殻はありませんよ、っていうことなんです。
 なかには変わった漁協があって、うちはベルトコンベアを海の沖まで伸ばしていて、海の中にジャラジャラと落としています、そういう漁協がありましたね。だからよそには出せません、と。
 だいたいどこに電話しても、「産廃業者と契約してるので」というのばかりです。
 それでそういうときに、(ああ、だめなんだな)と思いますよ。
 思いますけど、まず岡山県と広島県の全漁協に電話しようと思うんですね。
 全漁港に断られて、駄目だったら次を考える。全部、断られてみようと思って、悲しいけどもう断られてもいいと思って、片端からかけていきました。
 そうしたら、ある漁協で、それはダメだと思うけど、この人に電話してみたら、と言われて、携帯の番号を教えてくれたんですね。その番号に電話すると、
「今から、来れるか?」 
 というんです。行きます、行きます、といったって2時間近くかかるんですけど、あゆと一緒に行きました。
 そしたら、何に使うんだ? 俺の分の牡蠣殻なら、やるよ、と言ってくれたんです。

 

お母さん:
 それでね、あゆを見て「俺のところの嫁にほしい」って言われたんだよね。

 

お父さん:
 女なのに力があるな、うちの嫁にほしいと。
 そんなこんなで、うちの牡蠣殻ならやるから、その時期になったらいつでも来いよ、ってなんだか友達関係になったわけです。
 桃の季節になったら、その牡蠣殻を肥料に入れた桃を送って、牡蠣の時期には牡蠣殻だけじゃなくて、みんなの分の牡蠣をもらってきたりする。
 意志があれば、道がある。

 意志を持つということだよね。この頃、個人的な相談を聞いていても思うけど、自分の意志を持つということが大事だよ、ということです。
 「私はどうなんでしょうか」じゃない、私はこうしたい、って。プラスの方へ、私はこうなるんだと思ったら、誰がなんと言おうとやればいいじゃないの。プラスのことなんだから。それで全部解決する、というくらい自分の意志が大事です。
 僕は病気しませんよ。お母さんもしません。それは病気していられないから。できる物書きは風邪を引かない。風邪引くのは、原稿の締め切り終わってから。だって締切があるのに、風邪引いてられないからね。熱があっても熱を測らないんですね。熱があったから休むという選択肢がないので、あろうがなかろうが、書き終わってから、どれ、熱。ああ、風邪だ。って終わってから休む。
 締切が終わるまでは風邪を引かないんですよ。引いてても知らんふり、引いてないことにする。私、風邪でしょうか、休んだほうがいいんでしょうか、なんてことは絶対に聞かないわけです。引いてられないから。
 そういうふうに、自分はやらなきゃいけないとか、自分は弱気になってはいけないと自分に言い聞かせて、強気でやると言ったら強気でやればいいだけです。
 意志をはっきりちゃんと持ちましょうよ。いつまでも誰かに道を尋ねる人ばかりやるのはやめましょうよ。教える人になるなら、まずは自分で自分を律しましょう。

 
 

(2019年9月6日掲載)