そうだ、お父さんにきいてみよう!

第211回「期待について その②」

第210回からの続きです。)

 

お父さん:
 また、別な言い方をすれば、的確な期待と、的はずれな期待というのがある。
 この先輩はちょっと的はずれだったかもしれない。たまたま、まぐれで当たったのに、「もう一回、先輩の前でやってみろ今の」って……。できないよ今のは、っていうことですよ。的外れな期待だった、とも言えます。
 だいたいどこの親も、世界で自分の子供が一番可愛いと思っています。
 世界中の同世代の子供の中で、自分の子供が一番才能があると思っちゃうんですね。だからそれは的確な期待じゃないんですよ。違う、って言いたいね。それなのに、不適切な期待をして、向いてないのに、それをやらされる。それで期待するっておかしいでしょ。
 適切な期待をしたら、だいたい期待に応えるものですよ。だからいくら漠然と「世の中の役に立つ」って、世の中の役に立たなさそうな人を、立つって信じるのはやめて下さいよ。時には見限って、産まれてきた子供の顔貌は可愛いけど性格は悪い、とわかったら、なるべく見捨てましょう。え、そうじゃないの? びっくりしてる? びっくりする?

 

まっちゃん:
 その性格の悪さは、助けてあげられないんですか。

 

お父さん:
 うーん。あげられないかも。もし性格悪いと思ったら、僕は見捨てるよ。
 なにか困ることある? あれ? 困った顔してるよ、いま。

 

まっちゃん:
 どうしようかと思って……。
 いや、性格良くないからどうしようって。

 

お父さん:
 それは逆に聞くけど、その性格が悪い部分というのは、直せるものなの、それとも生まれ持ったものなら直せないの、どっちなの? 

 

まっちゃん:
 直せる、とは思いたい。

 

お父さん:
 だけど、今から直そうとは思わない?

 

まっちゃん;
 いや、思う、直せるなら直す。

 

お父さん:
 誰が直すの?
 自分でしょ? 自分で直そうと思わないの?

 

まっちゃん:
 そうか。見放すってそういうことか。

 

お父さん:
 いや、僕は、やる気のない人は見放すよ。もちろん、直すという人は見放さない。
 本人が直そうと思わなかったら、見放すしかないでしょ? そういうことだよ。
 誰か自分は性格悪いと思う人いますか? え? そんなにいる?
 大きく手を挙げてみて。ははあ。どうしようかな。
 どうしようかな……
 いや、手を降ろしていいです。
 あの、たくさん手が挙がりましたけど、……悪いところを直したほうがいいかな、と思う人はほんの数人しか、いませんよ。

 

お母さん:
 そんなこと言われても。

 

お父さん:
 なんだろうなあ。……話はちょっとずれちゃってますけどね、簡単に言って、人が見てないところで、手を抜くという人は、性格悪い、と僕は思うんだね。
 たまたま、疲れて作業が出来なくなる、というのはありますよ。それは性格じゃない。
 でも、まだ疲れてもいないのに手を抜く、というのは違うと思うね。
 でも、何をやっても必ず手を抜く、となっちゃう人がいるんですよね。それがなのはなに来て3,4か月の人にも、もうすでに手を抜くのは誰と誰ってわかってしまうんですよ。
 それが、へえと思ったのが、ちょっと前の日記ですけど、この人とこの人、って具体的な名前を挙げていましたけど、この人とやると作業がやりにくい。作業がつまらない、って書いてあって、ああ、ドンピシャだなと思いましたね。
 僕の見方と一緒なんですよね。その人は新しい人ですから、なのはなの作業に慣れていないです。慣れてないから、できてないんですけど、よく人が見えている。
 その人がちゃんとやれるわけじゃないんですけど、その人から見ても、これは違うんじゃないか、いわゆるなのはな的じゃないんじゃないかというふうに、日記で書いてきて、それはもう大正解なんです。
 でも、例外的にごく少数の人だけで、決して多いわけじゃないと僕は思います。
 ただ言えることは、今まで15年半、なのはなファミリーをやってきていますけど、過去の卒業生を振り返ってみて、僕もお母さんも、ここに縁があって来た人はそういう部分も全部、直して卒業させたいなという気持ちでやっているんですけど。手を抜く人だなと最初に感じた部分というのは、卒業するまで、ほぼ直せないです。
 で、僕はずっと、お母さんとも、本当にかなり頻繁に、家でもこのことを話しています。どう考えたらいいのか、直せるのか、直せないのか、という話もね。
 
 言ってみたら、人はそれぞれみんな違う土俵で、生きているんです。
 人生観を土俵に例えると、同じ土俵で相撲をとってる人が作業で一緒になったりすると、すごく面白いし、はかどるし、みんないい気持ちで終わることができる。
 ところが違う土俵を持ってる人がたまたま同じ作業でやったりすると、なにか違う、ってなっちゃうんですよね。それを、なにか違うっていうのを、ベテランの人だけがわかるんじゃなくて、新しい人がわかっちゃうというね。それくらい、わかりやすいものなんですよ。ところが、その本人はおそらくは、他の人はわからないだろうと思って手を抜く土俵で作業をしているんですね。だけどだいたいが、他の人はわかっちゃっているということなんです。
 で、これね、自分で直そうと思えば直るんだと、本当は思うんです。ところが本人にとっては、直す気にならないんですよね、土俵を捨てる気にならないんです。自分の土俵を捨てる気に、なかなかならないんですよ。
 それが問題だな、と思いますね。
 ああ、でね、今さっき手を挙げた人いっぱいいるけどね。このままだと今夜眠れなくなると困るのでね。集合が終わってから、校長室、開けておきますから、一人ずつ、僕から見て、あなたは大丈夫という人、あなたはあれという人は……。

 

お母さん:
 「人狼」ゲームみたい。
 もう、なんか今日のほうが、怖いじゃない。

 

お父さん:
 そう?
 自己否定をする人は、自分はだめだってやってても、全然そうじゃなくて、懸命にやっているなと思える人が結構いるんですよ。
 その一方で、本人は自分は結構できるほうかもと思って、余裕でさりげなく手を抜いている人がほんの少しいる。
 これはね、たぶんね、僕の見方とかお母さんの見方じゃなくて、おそらく世の中に出たらみんな同じ評価を下しますよということです。それは、はっきりしてるものだということを思ってください。

 

お母さん:
 今の話の続きにならないかもしれないんだけどさ、お母さん、名指しで、昨日も、まゆで助かったって言ったでしょ。
 昨日のまゆの心遣いにも感激したけど、思い出しても涙が出てくるくらい感動したのは、少し前に17アールの開墾畑でのこと。
 17アールの開墾畑で、小豆の土寄せしてるみんなを、お母さんとお父さんで見に行った時があるのよ。
 その時、ものすごい炎天下だった。暑くて暑くて。それで、お母さん、馬鹿みたいと思うかもしれないけど、あの光景を思い出しただけでも涙が出てきそうになる。
 やよいがね、「休憩しまーす」って言ったのよ。ああ暑いから、それは休憩するわって思って、お母さんとしては、お茶と、何かおやつを持ってきてあげたら良かったなって思って、土手にでも座ってみんなで休憩するのかなと思ったら、
「ここへ集まってください。これから、なぞなぞを出します」
 って言ったのよ。は? と思って。炎天下、日陰でも何でもない畑の真ん中に、鍬を持ってみんなこうやって集まってきて、なぞなぞをやよいが出しだしたの。
 そのなぞなぞも、しょうもないなぞなぞだったのよ。しょうもないなぞなぞだったの。
 それ、目に未だに焼き付いている。お母さん、自分が、めげそうになったりしたらあのときの光景を思い出して自分を元気にするんだけど。しょうもないなぞなぞを言って、誰かが答えたら、「はい、じゃあ次の15分間、頑張って土寄せして下さい」っていってまた作業を始めたの。その間、ものの1分。……え! これ休憩? と驚いた。そしたらみんなが、「はーい!」って言って、さっと散って鍬を動かし始めた。
 なぞなぞも真剣。炎天下の休憩も真剣。鍬を動かすのも真剣。しょうもないな、なんて言う人なんて誰もいない。

 いや、それにしてもね、一生懸命、考えて、みんなを集めて、やる力っていうのは、ただ見てるだけのお母さんをこれだけ感激させたわけよ。
 多分、あそこがステージだったら、何百人という人を、絶対お母さんは感激させてると思った。
 お母さんは、畑に出るときは自分はステージに立ってるといつも思ってるわけ。労働をやらされてる役でもいいんだけど、それにしてもちゃんとリーダーについていく一番かっこいい役に立つ人になろう、と決めてやるのね。
 それをいい方にプラスに、プラスに、やっていったら、ものすごくリーダーが嬉しいし、そのチームの人が嬉しいし、やった感があるし、早いしって、おまけがいっぱいついてくるんだよね。
 なんかそういうのが、あっちこっちで見えたらいいなって思っていてね。
 だから、そういうのを経験して、「あ、そうお母さんこう言ってたな、そういうことでいいのか」って自分の中へ落とし込んでくれたら、あっちこっちでそういう行動が起きてくれたら、みんなどんどん面白くなるし、みんな仲良しになるし、みんな動きたくなるし、いい循環が生まれてくると思うんだよ。
 そんな、「自分は意地悪ですか、私どうですか」なんて聞きに行くのお母さんナンセンスだと思う。

 

お父さん:
 うん、そうか。

 

お母さん:
 すごい、人間小ちゃいと思う。いちいち聞きに行くの。

 

お父さん:
 そんな気がするね。ちなみにその時やよいは、
「皆さん、数字の問題がいいですか、漢字の問題がいいですか。なぞなぞがいいですか」って聞いたら、みんなが「なぞなぞ」って言った。

 

やよい:
 私が考えた問題じゃない。

 

お父さん:
 そうだね、永禮さんが教えてくれたなぞなぞだね。正解したら次の休憩まで15分。正解できなかったら作業時間まで20分と言ってね。それで問題だけど――。答えはみんな教えちゃだめよ。問題。
「ある国の名前で、ひっくり返すと動物になる国の名前は何でしょう」っていうのがそのときの問題でしたね。
 この次使えなくなっちゃうから、答えは言わない。
 いやそれでね、それで、お母さん、みんなもちょっと疑問に思ってると思うんだけど、その休憩のとり方のどこに感激したの?

 

お母さん:
 いや、なんだろう。え、どこに?

 

お父さん:
 日影に入って休まないで休憩にした潔さ? 休憩と言ってもなぞなぞで頭を心をほぐそうとしてた試みに感激した。それと休憩の1分という短さに?

 

お母さん:
 いや、違う。いや、なんだろう。

 

お父さん:
 その全体の雰囲気に感激した?

 

お母さん:
 一生懸命さと。その短さもだし……

 

お父さん:
 そうか、普通これで休憩って言わないだろうっていうくらいの短い休憩。というかやよいが一生懸命、「休憩終わりです。また頑張りましょう」というと、みんなが「はーい!」と返事をして、すぐに作業に入る。
 そういうやよいとみんなの姿は、なんか稚拙だけど潔くて、懸命な姿は、もう誰も入れないくらいの濃い空気が漲っていて、ほんとに若い子たちならではの空気で満ちていたね。

 

お母さん:
 これでいいのかって思って、お母さん。すごいなと思って。それを一生懸命やってるの見て、涙出そうになっちゃった。

 

お父さん:
 そうだよね、確かにそれ言われてみると、ただ、ただ、ひたすら一生懸命やってる姿がそこにあったということなんだね。

 

お母さん:
 だから本当に、上手にできるとかじゃないんだよ、良くしようと一生懸命動いてる人の姿は、誰が見ても感激するの。だから、私って好かれてますとかじゃなくって、本当に、利他心というか、みんなも、ひっくるめて喜ばそうという気持ちを持っていて、それが、成功しようが失敗しようが何ら関係なくって、みんながどうぞ喜んでくださいって。そしたら自分も楽しくなりますからっていう気持ちで動いてる人と言うのはすごくきれいだね。

 

お父さん:
 そうだね、評価を気にする人なんて言うのは一番つまらないんだよね。僕、前から言ってるけどやっぱり自尊心というのはすごく大事で、自尊心は大切にしなきゃいけない。自尊心というのは本当に、大事にしなきゃいけないと思う。
 天上天下唯我独尊。
 天の上にも、天の下にも、ただひとり私だけが尊い、というくらい自分を大事に思う気持ち。自分の尊さを大切にしようという気持ち。人がどう言おうが自分は本当に尊い存在なんだと。尊い存在として間違ったことはしない。言ってみたら自信の裏返しでもある。そう思って自分で自分を肯定しなきゃだめですよ、と思うんです。
 それなのに、自分を卑下したり、自分を否定したりするのはいかがなものかと。みんなを100メートル走らせて、用意ドンでストップウォッチで計ったらだいたい全部違いますよ。じゃあ速い人だけが尊くて遅い人は尊くないのか。全部尊いんですよ。
 ただ尊くないのは、デタラメに走る人だけ。デタラメに走ってるかどうかは人が評価しなくても自分がわかるでしょ? 
 それと一緒なんですよ。自分は天地天命に誓って、力、手を抜いてないと思ったら、手を抜いてないでいいんですよ。自分は真面目だと思ったら真面目でいいんですよ。自分は不真面目だと思うんだったら、本当に自尊心にかけて、それは問題ですよ。それは問題だよね。

 で、質問からだいぶ大きく話は膨らんじゃいました。
 みんなくらいの歳になったらね、誰かから期待されてるから頑張ろう、頑張らないという歳じゃないんですね。
 今からは、みんなが、自分は評価される人、期待される人じゃなくて、自分が誰かに期待する側なんですよ。だってもういずれ、あと数年したら子供を産むという人もいる。子供が出てきたら、子供に対してどう期待するんだ、どうなんだという、そういう歳なんですね。
 だから、いいですか。もし、評価される人と評価する人がいる。どっちかにしかなれないとしたら、評価する人の側になってください。
 期待される人と期待する人がいるとします。どっちかにしかなれないんだったら期待する人の側になって下さい。
 そういう生き方をすればいいんですよね。周りの人間に期待する人になる。
 周りの人間から期待される人っていつまでも受け身はやらない。王道的に期待する人になっていきましょう。で、上手に周りの人間に期待する。
 
 そして大事なことは、自分自身に期待する。誰よりも自分自身が自分のファンで自分に期待してる人、自分を褒める人である。そうあってほしいですよね。
 その点ね、僕もお母さんも自分を褒めるのがすごく上手です。自分で自分をね。みんなの前で褒めてないですよ。内側でね。自分を褒める。それが一番の励ましですね。みんなも、誰が褒める人がいなかったとしても自分を褒めちゃってください。自分を期待して褒めて褒めて褒めて高い評価を自分で与える、それはすごく大事なことなんじゃないかなと思いますよ。

 
 

(2019年9月3日掲載)