そうだ、お父さんにきいてみよう!

第210回「期待について」

【質問】

 先日の集合でのお話を聞いて、期待されていると、その期待に応えられるようになろうと思ったり、自分は期待されてるような人間なんだと思うことで自信につながるのだと思いました。
 それは自分にも経験があることですごく納得したのですが同時に、期待されていると思うことで、できたことができなくなってしまうこともあるとも思いました。自分を例に挙げると、部活を初めて先輩に教えてもらいながら練習していて、初心者にしては難しい打ち方が何故かできたとき、その先輩が他の先輩を呼んできてもう1回私にさせてみせようとしたとき、体がこわばってできなくなりました。
 期待されてできる部分と、期待されるからできなくなる部分があると思いました。うまく言葉にできにくいので、どう期待されたらいいのか、教えてもらえると嬉しいです。
自分の答え 
 前者の「期待」は手放しで自分を信じてもらっている、少しのことではゆらがないもの。後者の「期待」は1回の失敗でくずれてしまうような脆いもの。
【お父さんの答え】
お父さん:
 そんなふうにも言えるでしょうね、たしかに期待されないとやる気が出ないし、かと言って期待をあまり被せられると、できなくなっちゃうということ、ありますよね。
 これは、先輩を呼んできて何か、バットの振り方をやってみて、ということになったんでしょうね。これくらいだったら簡単ですけどね、子育てとすると、難しいですよ。
 みんなが、仮に子供を産んだとして、子供に期待するとします。どういう期待が良くて、どういう期待は子供を潰すのか。そのちょっとした違いで、結果は全然違うでしょう。ちょっと考えてみてくださいよ。どういう期待なら子供を伸ばして、どういう期待なら子供を潰すのか。たまにはみんなの意見を聞いてみたいな。
れいこ:
 自分の思い通りにしたいという期待は、子供を潰すかも。
お父さん:
 自分の思い通りにしたいという親の期待は子供を潰す。それは言えるでしょうね。
ななほ:
 敢えて、親は漠然と、この子は大丈夫だろう、立派になるだろう、と心の中で思ってるだけでいいんじゃないかな。
お父さん:
 なるほど。立派になるだろうと漠然とした期待をする。それなら子供を潰さない。
まゆ:
 これができるかとか、そういう、なにかがあるからとかじゃなくて、ただその存在だけに、期待してくれたり、自分の存在だけに喜んでくれたりしたら、このままでいいんだと思えて、子供は自分のいいところを伸ばそうと思えるのかなとーー。
れいこ:
 いい期待は、信じる。
お父さん:
 それは子供を伸ばすでしょうね。なるほどね。
りな:
 子供を潰す期待では、自分の子は他の子よりもこれができるからとか、周りと較べられると潰すと思います。
お父さん:
 周りと較べる期待、なるほどね、それは潰す、確かに。今いくつか出ましたけど、だいたいみんな当たっていると思います。
 そういうのをまとめると、「利他心」の期待と、「我欲」の期待の2つにまとめられそうですね。
 我欲の期待というのは、自分の家だけが得をする、自分だけ得をする、自分の子供だけが得をする、という期待ですね。我欲の期待は子供を潰すことにつながるでしょうね。ある意味、子供を贔屓目に見る親の希望だよね。
 で、利他心の期待というのは、「漠然と」とななほが言ったけど、自分の家やその子が得をするのを期待するのではなく、この子は何か世の中に大きく役に立つだろうという期待ですよね。
 この子は立派になって、大リーガーの選手にでもなって契約金を山ほど持ち帰ってくるだろう、なんていうのは我欲です。
 立派な、というのは社会に貢献する、という意味ですね、自分ちだけが得をするんじゃなくて、世の中全体が得をする活躍をするんじゃないか、そういう利他心の期待というのは、子供を潰さないでしょうね。
 だから、漠然とというのがちょっと大事かもしれない。狭く「こうでなければならない」みたいなことになってくると、そこから外れた途端に親の期待から外れちゃうみたいなところありますよね。そうすると苦しくなる。
 具体的には何でもいいんだけど「世の中の役に立つ」ということなら、選択肢が広くなる、そういう意味じゃ自分からどんどん力を伸ばそうという気持ちにもなれます。
 親の期待は「世の中の役に立て」ということで、いいでしょうね。
 こっちにいったらお前は役に立てるんじゃないか、とある程度の方向を言うのはいいでしょう。もし野球の方面に進んだとして、結果的にプロ野球の選手になれなかったとしても、少年野球のコーチになって世の中の役に立った、ということあるかもしれないからね。まあ世の中の役に立てばいい、としていいんじゃないでしょうか。あまり例はよくなかったかもしれないけど。

 

 あと、親が得をしない、親が子供の成功と関係ない、期待をする人が得をしないという事がすごく大事なんじゃないのかな、という気がするんですね。
 期待をする人が全く得をしない。期待する人の喜びには直接、つながらないっていうことが大事かな、と。
 だから、言ってみたら、「これができたからと言って親は喜ばないかもしれない、だけど自分が好きだからやろう」というのでいいんじゃないかな。
 親が先を見て、今これに失敗しようが成功しようがどっちでもいいんだという、そういう幅をもっている、期待はしているけれどもどっちにしても得をしないということだといいでしょうね。

 

 それと、この質問の状況をみると、期待をする人と、この利益を受ける人と、実行する人の三者がかなり緊密につながってるよね。先輩を呼んできて、さあ期待してる、見せてやれ、みたいなね。その期待の効果、受益者と期待する人と自分との関係があまりにも近い、これは緊張しますよね。
 だから、そういう状況に置かれちゃうと、先輩の顔を立てるために、こっちの先輩に見せなきゃならない、といったら、これはかなりタイトですよね。こういうタイトさというのが緊張を呼ぶんですよね。失敗と成功がはっきりしている期待が目の前にある。
 だから、長期の期待でも、タイトに感じられたらダメということ。受益者がはっきりしちゃったらだめで、受益者は漠然としてていいんじゃないかな。

 

   次回へ続きます。

 

(2019年8月30日)