そうだ、お父さんにきいてみよう!

第209回「自己愛性パーソナリティ」

【質問】
 先日の質問で、劇場型自己愛性パーソナリティ障害の話がありました。
 私は恥ずかしく、知られたくないけど、その要素があると思いました。
 私は、たぶん子供の頃からナルシストでした。
 これは、性格だと思っているのですが、直せるものですか。
 直す努力を精一杯すべきことですか。

 
 

【お父さんの答え】
お父さん:
 ナルシストっていうのは性格的な要素が大きいので別にそれでいいのですが、自己愛性パーソナリティ障害というふうに「障害」がつけば治すべき病気ですから、これは治さなきゃいけないということですよね。
 ただ、困ったことに、ここに線があるとして、線よりこっちにいる人は病気でこっちは病気じゃないとか、そんなことじゃなくて、病気じゃないところから病的なところまで連続的なものなのだと僕は理解しています。
 で、これね、ストライクゾーンと考えましょうよ。
 いくらナルシスト的な要素があったとしても、まだ正常であるというストライクゾーンにいればいいという考え方ですよね。
 お料理って、ドンピシャに美味しいものを作ろうなんて、あまり思わなくていい。今日は暑かったから塩分足りないなと思ったら、ちょっとしょっぱめでいいや、と。これが、しょっぱくて食べられない、反対に薄味で食べられない、となったらストライクゾーンではなくなってしまいますけど、ストライクゾーンって結構広いんです。
 ややしょっぱくて美味しい、やや薄味で美味しい、その幅はかなり広いですよ。
 そうじゃなかったら、大さじ何杯かな、小さじ何杯かなとか、いつでも料理本がないと作れないということになってしまう。
 料理が上手い人は、ストライクゾーンがけっこう広いぞと知って作っている人。ただ、狭い料理と広い料理があります。そのゾーンが狭い料理の代表は、ケーキですね。調味料が目見当では作れない。その反対に普通の煮物とか、炒めものはストライクゾーンが広いと思ってください。
 性格もそれと同じように、許される範囲はかなり広いと思ったらいい。
 で、多分、僕も、ナルシストです。

 

お母さん:
 笑っちゃった。

 

お父さん:
 そう思う? お母さん。

 

お母さん:
 思うよ。

 

お父さん:
 僕、みんなのこと好きですけど、一番好きなのは、自分かもしれない。そんなことないか? どうなのお母さん? 一番好きなのはお母さんで、自分は2番目かな……、そんなこともないか?
 みんな、いいですか、こちらの右手を大きく伸ばしたところが自己愛性パーソナリティ障害、としましょうか。自分のことが好きで好きでたまらないナルシストです。
 そして僕の左手を大きく伸ばしたところが、自分が嫌いでたまらない醜形恐怖、そして自己否定の塊になっている人、としますよ。
 人間ってこの基準で見ると、真ん中よりも右側のナルシスト系の人と、真ん中よりも左側の自己否定系に近い人がいると思います。
 その一方で、自分のことはちょっと認められる、というところから、自分はあまり好きじゃないというところまでの、ストライクゾーンはここから、ここあたりまででしょうと言えるわけです。
 僕はナルシスト系ですが、一番右の端のパーソナリティ障害まで行かなくて、まだストライクゾーンに留まっている範囲の内かな、と思うわけですよ。
 じゃあみんなにも、聞いてみましょう。
 真ん中よりもナルシストのほうに振れているか、それとも自己否定のほうに振れているか、2つに1つで答えてください。こっちだと思う人、手を挙げてみてください。
 じゃあこっちだと思う人、手を挙げてください。
 ……そうか、半々くらい。

 

ななほ:
 ナルシスト、イコール自尊心?

 

お父さん:
 イコールじゃないけど、自尊心が高め、自尊心が強め、と思っていいでしょうね。その人は右側ですね。
 で、習い事をしたときに、早く上達するのはナルシストの人です。
 ダンスをしたとききちんと決めポーズを決められるのも、こっち側の人です。自己否定側の人は、決めポーズがなかなか決まりません。自分を表現する習い事のときにちょっと、恥ずかしくて、表現しきれないんです。役にハマる人は、こっち(ナルシスト側)です。なかなかはまらない人はこっち(自己否定側)です。
 ナルシスト側のほうが、本当は人生を楽しんで生きやすいんじゃないかなと、僕は思いますよね。

 

お母さん:
 でも、みんなってどっちも持ってるんじゃないの?

 

お父さん:
 それは、いろいろな状況がありますから、どっちの面も内側には持っていますよ。
 ただ言えることは、ヨーロッパ系の人とか、アメリカ系の人というか、そういう人は、ほとんどナルシストの側じゃないかな。
 なんでかというと、日本には謙遜する文化がありますけど、ヨーロッパには謙遜する文化はあまりないんじゃないか。むしろエリート教育では、いかに自分を立派に見せるかとか、いかに説得力を持って相手に接するか、というのを徹底します。どのくらい説得力を出すかというのは、自信ありげな表情だったり話し方だったり、意志を持った仕草だったりで、それがうまくできる人が評価される。
 逆に自信の無い人は評価されない、というのがヨーロッパとかアメリカの文化なのかなと。基本的なところで。そちらの文化圏で生活してきたえりさは、どう思う?

 

えりさ:
 そうですね。日本人と考え方が違う、と思います。

 

お父さん:
 例えばアメリカンスクールに行ってて、あるいはアメリカの大学では、割と自信を持った人が多いような感じがしない?

 

えりさ:
 なんか、みんな自信もあるし、自由であることを結構大切にする。

 

お父さん:
 要するに自分はこれでいいんだよって自己肯定だよね、こんなふうにしてるけど自分はいいんだっていうね。
 だからよく、外国へ行ったときドアマンに「すいません」って頭を下げないように僕は気をつけなくちゃいけない。
 ドアマンはみんな自信を持って堂々とドアマンやってるので、つい「すみません」って頭を下げそうになっちゃう。だから、こっちはもっと負けないよう、胸を張って堂々とする。ナルシスト系の僕でさえも、外国に行くともっとナルシスト側へ行かないと気が怯んでしまう。そういうところがあるよね。

 

お母さん:
 ガチャッて、気持ちを大きく取り替えないといけないよね。

 

お父さん:
 ガチャッて替えないとね。

 

あゆ:
 でもあんまり、自分勝手が過ぎるとね、えりさちゃんが言ったみたいに、あまりに自由に振れすぎてて、アメリカの人とかでも辟易してる人はいるんじゃないかなと思う。そういう、自己主張の強さに、ちょっと辟易してて、ちょっと疲れてる感はある。

 

お父さん:
 そう、ちょっとそういうところはあるよね。
 そういう人が、日本に来て、奥ゆかしい文化に触れると、すごく心が洗われるというところがある。そういっても日本もそういう伝統があるところと、あまり残ってないところがあるけど。
 自分を落とすというか謙遜するのは、ある種、日本独特のカルチャーだよね、これが同じ東洋でも中国に行くとまた変わってくる。韓国に行くとまた違ってくる。

 今日、盛男さんと香港の話をしてたんだけど。香港で今100万人規模、200万人規模という、とんでもない規模のデモがあって、それで、そのデモ隊が香港の空港を占拠したりして、飛行機が500便も運休になったりした。
 絶対に中国の支配下に、入りたくない、というデモですね。
 中国と同じにするな、香港なんだから、と。香港で怪しいと思う人がいたら、いくらでも怪しい人を中国まで連れて行って、拷問でもなんでもできるような法律を作るな、中国の法律をそのままこっちへ持ってくるな、ということなんです。
 で、なんでこんなになって猛反対しているか。
 中国はもう軍隊を差し向けて、深圳まで軍隊をつけているのに、です。
 同じ中国人でも、香港のカルチャーは、99年間、イギリスの領地として独自の文化、カルチャーを育んできた。
 そんな香港と中国本土のカルチャーとでは、ものすごい土俵の違いというか温度の違いがあって、中国が自分側の土俵にしようとしても、それは嫌だって香港の人が思うくらい、カルチャーの違いがものすごくあるので、抵抗してるわけですよ。
 同じ中国人と言いながら、香港は小さいエリアですけどまるで違うカルチャーになっちゃってる。今度のことを見ても、ものすごくわかるんじゃないかなと思う。
 同じ民族かどうかより、ある種どんなカルチャーを持っているかというのでものすごく違う、大きな違いが出てくるということが、わかるかなと思うんですよね。

 で、そんなふうにカルチャーが違うという観点で、この自己愛性パーソナリティ障害をどう考えるかというと、少しわかりやすくなるんじゃないかと思います。
 そんなことを踏まえながら考えると、自己愛性パーソナリティを全面的に否定するのではなくて、むしろ正々堂々と、一定のナルシシズムというのを自分に対して持ち続けてもいいというふうに認めちゃって――ただ行き過ぎて障害になるのはだめですけどね――それを本当に持ち続けながら、障害とまで行かないようにしよう、と。
 生半可ではなく一定のナルシシズムを持ち続ければ、「自分はこれくらいすごいのに誰も認めてくれない」とか、「自分はこれくらいすごいのに、なんで自分がこんな事言われなきゃならないんだ」とか、ちょっとなんか軽く言われただけでも過剰に反応したり、あるいは認めない態度、言葉に対して過剰に反応するというのが無くなると思うんですよね。
 僕なんかは、わりかし、否定されることを言われても、結構、自分で自分を認めちゃってますから、「その人が間違ってる」と言って、はねのけることができる。それほど強いストレスにしない。

 ただ、この、パーソナリティ障害があるということは、この「障害」という言葉のニュアンスは、正常なパーソナリティを維持できない、正常な人格を維持できない、正常な人格から逸脱してしまう。何らかの刺激があったときにね。あるいは刺激もないのに逸脱してるから障害なんですね。
 ストライクゾーンにいなさいよということですよね。
 だから「自己愛性パーソナリティ」で止まってればいい。「自己愛性パーソナリティですよ、私は」。そうすれば問題ないわけですよ。人格が崩れるから問題なのであって。そういう意味じゃストライクゾーンに留まっておく、自己愛性パーソナリティでいいじゃないのという、そういうふうに思っておけばいいんじゃないかなと思いますね。

 だから、もし誰も認めてくれないんだったら、夜、5分か10分、お風呂から出たあとでいいから鏡を見るんですよ。
 かわいいなあ、美人だな、自分は。みたいにね。口に出さなくていい。思ってる。自分はなんて美しいんだ、ってね。そこで「鏡よ鏡よ、鏡さん」って訊いちゃだめですよ。訊かずに――。
 前から、お母さんにね、「そろそろ鏡とお別れして出かけようか」と。お母さんがずっと鏡の中の自分に語りかけけてるようだから言うことある。そしたら、どうやったら老けた様子がないか、隙が無いかどうか確かめてるだけだ、自分に溺れてるんじゃないよ、ということですけどね。
 そうやって鏡を見ちゃう。自己愛性パーソナリティなんだから、自分に対する高い評価が足りないとストレスが出てくるから、自分で鏡を見て、「なんて可愛い」そう思って自分に高い評価を与えたらいいんじゃないでしょうかね。

 あるいは、誰か自己愛性パーソナリティの人はお父さんの代わりに、「聞いてみよう」の時間をやってみたらいいね。劇場型自己愛性パーソナリティの人にとって、「お父さんにきいてみよう」くらい楽しい自己愛を満足できる時間はないですよ。質問を受けて、そして答えている間、みんなから愛されていることをひしひしと感じるこの1時間。本当ですよ、ほんと。

 僕、随分前に100円ショップに行って、100円の美容液で、すごくいいのを見つけました。そもそもは、髭剃りが時々切れ味が悪くなってざりっとなるんですね。それで、なんかないかなと。美容液をつけたら、素晴らしいんです。お風呂を出たあと、ちょっとつけて寝るでしょ。翌朝、顔を洗ったときに、ぷるんとしてるんですよ。で、髭をそっても、全然引っかからない。これ、みんなにも使ってほしい。
 で、今ではやっぱり、年取るのは嫌だから、このごろ、その美容液を塗らないで寝ない日はないくらいですよ。僕の歳で毎晩、美容液を塗って寝てる人は少ないんじゃないか。なんでかと言ったら、やっぱり普通の人は見られてないからですよね。表現する場が少ないから、どうでもいいわけですよ。僕はみんなのお父さんなので、どうでもよくないなっていうね。
 自己愛性パーソナリティの人は、せっかく自分を好きなんだけど、人から認められるような場がないと、それが確認できないので、そんな場面を自ら作っていくといいでしょう。日頃からね。そうするといいと思います。
 せめて1日5分は鏡で自分の顔を見る。そうすると自己愛の満足度が上がるんじゃないか。キャラクターによってそれぞれ違うと思う。キャラクターに沿った、自分自身への心のメンテナンス――あえて言うならですよ――それをやっておけば、自分の安定感が違ってくるんじゃないかなと思いますよね。
 自己愛性パーソリティをしっかり自分で実現する、自薦する。
「あなたはどんな性格ですか」と聞かれたら、堂々と「そうですね自己愛性パーソナリティとでも言いましょうか、結構、自己肯定感が強いです」と言えばいい。「そうですか」みんな納得してくれますよ。それが、障害、ってつくと、嫌がられますから、障害にならないように、正しい人格に留まるように、自分をコントロールしていきましょう。

 
 

(2019年8月28日掲載)