そうだ、お父さんにきいてみよう!

第207回「調理されて食べられる魚はかわいそう?」

【質問】
 昔テレビで中国人が、魚を生きたまま灼熱の油の中に体だけを入れて調理しているのを見ました。その魚は生きているので油の中でとても苦しそうにしていました。私はそれを見て、中国人はなんて残酷なことをするんだと怒れてしまって、魚が可愛そうでいたたまれなくなりました。
 それとは別に、誰が言っていたのか忘れてしまったのですが、「魚は痛みを感じない」ということを聞いたことがあります。
 それを聞いて、釣りのときに魚の口に針を引っ掛けたりしているのや、生きたまま調理をしているのを見て、少し安心しました。
 だけどふと、魚がそう言ったわけじゃないだろうし、と思い、なんだか信じられなくなりました。
 お父さんとお母さんは、魚に痛覚がないというのは本当だと思いますか?

 
 

【お父さんの答え】
お父さん:
 という質問ですね。
 痛覚がない、っていう、これはどうなんでしょうというふうに思うんですよね。
 あのね、これを聞いてちょっと思い出したのは、「神経ガエル」です。知っていますか。中学校の理科の実験でやったんじゃないかな。
 カエルちゃんがいます。ここが口と思って下さい。ここに目玉がついています。この口に、はさみを入れて、ジョキンと頭を切り落とします。そうすると脳の部分がない身体になります。下顎と身体だけ、ですね。顎を針金に引っ掛けて、吊るします。

 

あゆ:
 (唖然として聞いてるみんなの顔を見て)みんなのかお……。

 

お父さん:
 これが顎で、身体は下に垂れ下がっている、と思ってください。
 背中をこっちへ向けておいて、硫酸に浸した小さい小指の爪くらいの紙を背中に、ぽんと付けるんです。
 すると、カエルは急に、足を曲げて、かっかっかっと背中に足を回して、その硫酸の紙片を取ろうとします。
 頭が取れてるのにこうやって動くんです。硫酸の紙片が落ちるまで。

 

まゆ:
 そんな実験、学校でせんて。

 

お父さん:
 そう? やったよね。今はしていないのかな。
 これはどういう実験かというと、脳がなくても、背中の皮膚についた硫酸が熱くて痛いので、それを取るという反射がある、ということを確かめる実験です。
 背骨の中の脊髄から直接、排除しろという命令が行って、足を動かして危険を取り去る。つまり、頭のほうに「痛い」という信号が行くと同時に、脊髄から直接、それを排除する命令が足の神経まで行って、落とすように仕向けているわけです。神経ガエルと言うんですね。脳を取り去って、神経しかないので。脳が指示しなくてもそれをやるわけです。神経が生きてる限りはね。
 それを確認するための実験なんです。
 それを考えると、「痛い」っていう感覚は、なんなんだって話ですよね。
 脳がなくても、背骨で痛みを感じるからこそ、反射がおきている。
 少なくとも、カエルちゃんの心では感じていなくても、背骨では感じている。神経で感じて痛みを排除している。だけどそれは痛みを感じていないということなの? 心で感じなくても身体が感じてたら、嫌なんじゃないの? と僕は思ってしまうわけです。
 あのね、同じことが人間でも起きるんですよ。
 医者から、「残念ですが脳死です。延命していても、もう脳が生き返ることはありませんよ」と言われたとします。家族が「わかりました」といって、「じゃあ呼吸器も何も全部外しますよ」「しょうがないですね。諦めます」そんなやりとりがあったとします。
 それで、延命の器具を外すでしょ。外したら、脳死のはずの患者が暴れます。苦しいからね。それを見たら家族は大きなショックを受けます。もうあれですよ、それ見ちゃったら、自分たちが殺しちゃったんじゃないかと思うくらい、家族は苦しみますよ。
 脳死といっても、大脳新皮質のほとんどが死んでいるというだけで、一部の脳細胞が残っていることは普通ですし、確実に反射神経は残っているので、苦しくなったら暴れるというのは当然のことです。

 それをどう考えるかっていうことですよね。
 大脳新皮質のある部分の脳だけが人間で、呼吸器を止められたら反射的にかーって苦しむのは自分の子供ではないのか、と疑問に思う人は多いはずです。
 脳死って、すっごく、おかしいですよ。
 偏見かもしれませんが、脳死を人間の死として、僕は認めたくないですね。
 心臓が動いてる限り、生きてる限り、生きてるでしょうって言いたいですよね。

 で、生きてるかどうか、痛みがあるかどうかはともかくとして……。
 あ、もう一つ。話は遠回りしてしまうけど、ちょっとした日本料理屋さんに行って、出てくる、魚の活造り。ここに、頭が皿の左側にどんとあります。背骨があって右側にしっぽが立ててあって、刺し身が背骨の上あたりに並んでいる。食べようとすると魚が、パクパクって、動く。
 これを、外国人は、おかしい、っていう。残酷だ、と。それを喜んで食べるのは日本人だけ。…そういうのは聞いたことある?

 

えりさ:
 SNSとかで、日本人が食べてて、動き出して、無理無理! っていう動画とか、あります。

 

お父さん:
 それはどういう意味で。これ「おかしいんじゃない?」ってことだよね?

 

えりさ:
 ええ、「おかしいんじゃない?」って……。

 

お父さん:
 生きてるのを食べて、喜んで、これは活きが良いなんていうのはおかしい、と。
 みんなはどうなの? そういうの経験がある、見たり聞いたりして経験があって別におかしいと思わない人。(多数)
 おかしいと思う人(少数)。
 多くの日本人は、魚の活き造りをおかしいと思わないでしょ? 美味しいよね。それが普通なんですよ、日本では。
 これをどう考えるか。すごく難しいですよね。

 ちなみにまた余分な話ですけど……。
 僕の母親が料理をしてくれたことですが、まあ暑い頃になると、母親がドジョウ料理を作ってくれるたんです。生きたドジョウの料理を。
 だいたいドジョウは生きてるやつしか調理しませんね。
 親がドジョウ料理を作ってくれた人、手を挙げてみて。ああ、一人いる。
 ドジョウちゃん、料理の途中で2回暴れる場面がある。
 スーパーからビニールのパックの中で泳いでるのを持ち帰ったとします。
 それをザルに移します。ザルに入れて、蓋を用意します。

 まず、1回目の惨劇。塩をひとつかみ。相撲を取るわけでもないのに。そのザルにいるドジョウめがけてバッと投げ入れて、すぐに蓋をする。ばたばたばたばたって、蓋の下でドジョウが暴れます。ドジョウは自動的に塩まみれになって、ぬるが取れる。ひと騒ぎ終わったあと、「塩をかけてごめんね」と言いながら水ですすぐ。きれいにぬるが取れた。

 次。「ハア、ひどい目に遭った」って思ってるドジョウはひと休みしています。
 鍋にドジョウ汁を入れて、沸騰させます。ゴトゴト。そこによく水を切ったドジョウ。「ああひどかった、さっきは痛かった。今も痛い……」って言うのを、煮えたぎった鍋の中にバンッて入れ、蓋をバンッて閉める。バタバタバタ! 
 ドジョウが飛び出さないように蓋をしばらくおさえている。やがて静かになる。
 それが美味しいんですよ、ドジョウが。そうやって生きたドジョウを調理するんですね。
 僕は子供の頃見ていて、なかなか凄まじい戦いだなと思って、よくドジョウに負けないでお母ちゃんは料理してるなって見てました。

 もっとマイルドなドジョウ料理となると、大きな鍋に豆腐を一丁入れるんです。水です。そこにドジョウちゃんをよく洗って入れる。まあ塩で洗ったほうがいい。
 鍋の中に泳がすんです。それを、火にかける。だんだん鍋が熱くなってくると、ドジョウはパニックになってきます。「何か涼む方法はないか」ってなって、「ああそうだ」「ここにある豆腐ちゃんに入ろう」。入る。ズンズンズン。進むんです。ここなら安全。
 それでそのままだんだん煮えていきますからやがて、豆腐ドジョウができる。
 どちらにしても、ドジョウ料理は生きているのを調理するので、かわいそうと思えば、かなりかわいそうな料理ですよね。
 考えてみると魚料理とかドジョウ料理とか、ウナギもそうですけど、調理される側からすれば悲惨ですよね。
 それで、そういうことを、どう考えるかということですね。

 僕はね、時々、色んなものを擬人化しますよ。花でも擬人化しちゃいますけどね。
 でも、料理をしたり、コトなにか物を食べるにあたって、擬人化してしまったら痛々しくて何も食べられなくなります。それこそ、菜食主義者になるしかなくなります。
 あまり擬人化する必要はないんじゃないかな、という感じがしますよね。
 で、やっぱりその人の持っている文化や、地域のカルチャーに関係が深いんです。食生活というのは、カルチャーなんですよ。それを痛ましいと思うか思わないかも含めて。

 そのカルチャーの微妙なあたりが犬ですよね。ドッグ、犬。
 中国あたりでは――韓国でもそうかな、犬を食べる文化を持つ地域がある。
 中国では犬だけでなく猫でも、なんでも動物を食べる文化がある。ハクビシンでも蛇でも鳥でも何でも食べる。その犬を食べる人たちに対して、動物愛護団体が――ああ、最近、犬肉まつりがあって、犬肉まつりに動物愛護団体が抗議に押し掛けたというニュースがありました。僕は驚きましたけど、食用犬の養殖業者がいるんですね。食べる用の犬を、豚を生産するみたいに育てている。犬を生産する養殖業者がいる。犬を売って生計を立てている。そういう人たちはもちろん、犬を食べる文化が昔からあるのだと主張します。動物愛護団体はかわいそうだと言って、対立する。
 まさにこれは、食文化の、モラルの持ち方の違いですよね。
 片や食べるのが当たり前。片や、食べちゃ可愛そうだという考え方。
 食べることに関しては、あるいはそれをどう扱うかということに関しては、文化の違い、カルチャーの違いがあって、それをどう見るかということで、やめたほうがいいと言うか言わないかも全部考え方の違い、と思ったらいいんですよ。
 だから文化の異なる人に対して、あまり口を出すのはどうかと思います。他の人のカルチャーに対して、同じ土俵に乗ってないのに、口に出すのはいかがなものかという気が僕はするんですね。

 今、現に日本で困っているのが、鯨肉です。鯨肉を食べる文化というのが、日本では昔からあります。鯨肉をずっと当たり前に食べてきていて、特に戦後、食糧難の時代に鯨の肉で動物性タンパク質を摂っていた。
 僕も学校給食で大好きだったのが、鯨肉のフライですよ。超美味しかったですよ。それを食べて育った。今は鯨は見かけないですよね。それはなんでかというと鯨の肉を食べる文化を持たない人たちが、「食べるんじゃない」って反対して、今は、なんていうか試験操業みたいな、あるいは調査捕鯨的な分でしか食べられなくて、特に捕鯨の文化のある街でだけよく食べられている、そういうようなことがありますよね。
 だから、痛いか痛くないかとか言う以前に、カルチャーとしてどうなのかということを考えたら、自分のスタンスがとりやすいかと思います。
 今の日本人でも、クジラはどうかな。食べたことないから考えにくいかもしれないけど、クジラ肉を食べるの賛成の人? 反対の人? ああ反対はいない。それは日本人として食べてきている、というのをよく知っているからですよね。
 そうだよね、アメリカでは反対でしょ?
 試しに犬を食べるの賛成な人は手を挙げて。反対の人?(賛成は0人) ああ、犬を食べていいという人はここにはいません。やはりカルチャーなんですよね。

 魚の痛みに対して同情するかどうかというのも似たところがあって、僕は同情しませんね。
 ずっと前に、3本の刃がついたヤスを持って海に潜ったある日のこと、割と小さい魚ですけど、魚がいたので、ぴしゅっとやったんですね。僕は下手くそで、その魚に当たったんだけれども、ツルンと滑って、刺さらなかったんですよ。そしたらその魚は「危なかった!」って逃げるかするのに、「え? なに? なんかが背中に当たっちゃった」という感じでそのままそこで餌なんかつついている。
 あららと思って、またプシュッとやった。今度はズドンと刺さる。「いててて」。この魚、なに考えていたんだろう。なんで逃げなかったの? はてなマーク付きましたね。魚ちゃん、ちょっとおばか、という感じですね。
 逃げる魚もいます。逃げない魚もいる。よくわからないです、何を基準に逃げるのか逃げないのかが。
 鯛あたりは、結構うるさいです。かなり察して、早めに逃げます。だけど、逃げない魚も多いです。魚、食べてもいいんじゃないですか。魚、文化として食べてきていますからね。で、かわいそうに思う必要もないんじゃないですか。どういう食べ方をしようともね。
 痛いか痛くないか、というと痛いに決まっている。
 しかし、痛いからかわいそう、痛くなさそうだったらかわいそうじゃない、という以前に、それを食べる文化があるかどうか。食べる文化があれば、痛い、痛くないに関わらずに食べる。
 だから、痛いか痛くないかは、かわいそうか、かわいそうじゃないかとか、食べるか食べないかの基準として、考える必要がない。
 それを食べる文化がある人は、それを擬人化しないので、文化のない人とは別な心持ちで美味しくいただく、ということでしょうね。

 
 

(2019年8月20日掲載)