そうだ、お父さんにきいてみよう!

第193回「物を簡単に捨てることができてしまう」

【質問】
 私は元々、物に対しての執着心が強く、何でも捨てられずにとっておいてしまうタイプでした。お父さんのように、好きな人から貰ったものは、普通ならゴミとして捨ててしまうような針金なども捨てられなかったです。友達や好きな人からの手紙を捨てずに保管していたり、メールもほとんど消さずに保護していました。

 中学を卒業して1年位たったとき、母と喧嘩をして家を出ました。しばらくして荷物を取りに行くと、私の私物や、だいじにとっておいた中学校の卒業アルバムと、友達からの寄せ書き集まで、母に捨てられていました。私は学校や学校の友達が大好きで、特に、みんなから貰った寄せ書きは本当に大切にしていました。もの凄く腹が立ったし、悲しかったし、怒りながら泣きました。
 (考えてみると)そのころから、私はだんだんと、物に対して執着したり、未練が残ったりしなくなっていったと思います。
 今使っていなかったり、必要のないと思った物は躊躇無く捨ててしまうし、前に好きだった人から貰った物もいらないと捨てられるようになりました。携帯に入っている連絡先や履歴や写真なども全て楽々と消去できます。

 私は人を好きになる感情や、思い出を大切にする感情が薄れてしまった、無くなってしまったと思います。なんでもわりと早くに決断したいと思ってしまいます。人に対しても冷たかったり、冷たい印象を与えているかもしれません。
 この前のミーティングで、“片付けられないのは、情緒が深いから”といっていました。私は、人一倍にあったはずの、物に対しての思い入れや執着心や未練が、今はほとんど無くなっていて、なんでもパッパと捨てて、綺麗に片付けてしまうなと思いました。

 

 質問1
 私は情緒がもともとないのか、だんだんと浅くなっていったのか、どちらかですか? だんだんと浅くなっていったとすると、どうしてだと思いますか?

 自分の答え
 もともとの情緒がどのくらいの深さかはわからないけれど、元の深さからはだんだんと浅くなっていると思います。理由は、今まで生きてきて、自覚はないけど、思い出を大切にすることが難しかったり、しんどくなったから? なのかなと思いました。

 

 質問2
 今の私から、情緒を深めていくことはできますか?

 自分の答え
 深めていけるのかな? とは思いましたが、どのように深めていくのかは、わかりませんでした。

 
 

【お父さんの答え】
お父さん:
 質問1の、私はもともと情緒がないのか、段々と浅くなっていったのかということですが、段々と浅くなっていったということでしょう。
 もともとは情緒は深かったと思いますね。段々と浅くなっていったのはなぜかというと、生き延びるためですよね。情緒が深いままでいると、そこで物を捨てられたり、攻撃されたり、その情緒が深いことに対して、いろんなダメージを受けやすいのです。死んでしまいたくなるほど、辛くなることが増える。辛さが、どんどん大きくなっていきますよね。

 辛さから逃げるためというか、辛さを感じないようにするためには情緒を捨てて、周りの相手に合わせて、どんどんドライになっていく。冷たい人、どうでもいい人になっていかないと、自分が生き延びることが難しかったので、本能的に自分の身を守るために、なんでも物を捨てられる人になってしまう。優しさも含めて、暖かな気持ちというのを持つのをやめていった。パッパと割り切りの早い人間になっていった、ということだと思いますね。
 摂食障害の人にはそういうふうに、ものすごく穏やかな優しい人から、ものすごく攻撃的な暴力的な人に変化したり、投げやりな人に変化したりとか、情緒が浅い人に変化したりということは、まあよくあることでね。これは自分の身を守るために皆それぞれに、そうせざるを得なかった、というふうに思いますね。

 質問の2で、「今の私から情緒を深めていくことはできますか」とあります。 
 もちろんできますよね。やっぱり暖かな気持ちというのを取り戻して、自分が信じてもらえるとか、自分が信じられるとか、そういう気持ちがしっかりとできてくると、いろんなものを大切にしたいなっていう気持ちが復活します。大事な人を大切にしたい、大事な心を大切にしたい。物もそうですね。大切にしたいものが出てくる、ということだと思います。そうなってくるとだんだん、情緒も深くなる。
 それにしても、中学生の子供の大事な物を捨てるというのはいけないんじゃないかと思いますよ。僕は子供が中学1年生だったとして、もし子供が家出したら、その子供のアルバムとか大事なものとかを捨てるかな。もう二度と帰ってくるなみたいなことで捨てたんでしょうけど、それを捨てるのはちょっとひどいなと思いますね。

 話しは戻りますが、安心できる環境で、それでやっぱり人を信じていいんだと思えたらまた情緒を取り戻すことはできるんじゃないでしょうか、ということですよね。
 でね、今の時代はね、……情緒が浅い人が多い。増えています。それはなんでかっていうとね、受験競争が象徴するように、時代が互いの足を引っ張りあう殺伐とした時代になってきたからというのもあるんですが、同時に、小説を読まなくなってきたのが大きいです。小説を読まないで、スマホを見るとか、漫画を読むとか、テレビを見るとか。すると情緒って深くなりにくいんですよ。小説を読むとすごく色んな感情が自分の内側に溜まっていくんですね。いろんな心の機微ですよね。
 小説には絵とか映像がなくて、文字だけですから、抽象的な文字を頭の中でイメージとして具象化していく作業を頭の中でしているわけです。そういう行為を通して小説にある様々な出来事を疑似体験として心に残していくと、心が深く耕されていきます。絵がついている漫画とか、映像とかは、抽象を具象にする行為が省かれるので深まり難い。
 やっぱり、小説をたくさん読んだ人というのは、本当に心豊かな人になるんじゃないかなというふうに思います。

 たまたま今朝方、一人の卒業生からメールを貰いました。その子は久しぶりでメールをくれたんですけど、だいたいいま読んでいる小説のことを書いてくることが多いです。最近、講演を聞いたときに、やっぱりなのはなのお父さんと同じことを言っていたのでびっくりしました、と。私はなのはなファミリーに行ってから小説を読む習慣がついて、今でもずっと読み続けてます、そのおかげでほんとに良かったなと思ってますというそういうメールだったんですね。なのはなに来てから小説読むようになったんだよね。ここにきてから小説読むようになったという人、結構、何人もいるんです。そうするとね、なんていうんだろうな、心の中にね、いろんな友人、知人が心の中に増えていくんですよ、自動的にね。

 僕が小学校のころ、本を読みましょうという運動を図書館司書がしていて、本を読みましょうという標語を募集した。
 「本は僕らの友達だ」っていう標語、いいと思いません? 僕が出しました。で、校内の賞をもらいました。ほら、“小学何年生”とか付録がついてくるじゃない。その付録をもらった。僕が小学校4年生のときに出した。僕が考えたんじゃないですよ。僕の父親が考えた標語でね。
「なんか図書館で標語募集してるんだよね、何かいいのないかな」
「そうだな、『本は僕らの友達だ』っていうのどうだ」
「いいね」
 父親の盗作ですね。
 でも、ほんとに僕らの友達だなって思います。本は友達なんですよ。考えてみると僕も苦しかったときに、本の中の登場人物にいっぱい助けられて、だから僕は生き延びられたようなところがあるんですけど、だから、自分も本を書く人になろうかなと思ったわけですよね。自分も助けられたから、自分もなにか、本を書くことで誰かを助けられるんじゃないかって思いついた。それでずっと本が好きなんですけど、僕は大正解の道を歩く事ができていったんだなと。下手なカウンセリングを受けるよりも、良い小説を2冊、3冊読んだほうがよっぽど効果があるような気もする。本を読むことで癒やされて、前向きになって、気持ちを耕してもらった。心を耕してもらって、心を豊かにしてもらう。

 みんな、今日、黒豆を植えたのは、耕された畑ですけど、アグリカルチャーという農業を意味する英語には、カルチャーという文化とか教養が入っている。教養がない人は農業ができない。農業をやっていくと教養ができる。そういうことですよね。農業と教養の間には、深い密接な相関関係がある。だから心の中で、自分は農業好きだなと思ってる人は、ああ自分には教養があるかもしれないと思ってください。それとなく農業が嫌いだなという人は教養がないかもしれないと心配してください。本当にそういうことでね。
 まあまあ、耕すというのは心を耕すのも大事、畑を耕すのも大事。深めていくということがすごく大事なことなんですよね。

 で、みんな、深めるということをどの程度考えているのかなっていうね。さっきのこの質問にあったけど、「私は、情緒がなくなって、パッパと捨てられるように何でも綺麗に簡単に片付けられる、捨てられるようになったと思います」ということは、あまり一つの物事を深く追求して耕すということがなくなるということ。ああもうこれはいいや、これはいいや、って心も簡単に片付けちゃうのでね。
 保留にしておくと深められる。
 やっぱり深めるということがすごく、物事全部――考えもそうですけど、大事だと思うんですよ。だから人によって考えの浅い人と深い人、います。

 ちょっと自分は浅い人か深い人か考えてみてほしい。
 同じ農業をやっていても、考えの深い人というのは同じ大豆の植え付けをやっていても、どうやったか覚えてる。次のときはもっとうまくできる。その次のときはもっとうまくできる。考えの浅い人はただやるだけなので次にうまくいくかは、まあ出たとこ勝負になってしまう。
 何かの世話についても、考えの深い人は、もっと調べてみようとなる。本当に世話するにはどうするのかなって。
 なのはなで生活していろいろ野菜をつくっても、本当に深く覚えて身につけてる人と、身につけない人がいますね。やったけど言われたことをやったので、と。例えばどこか東京とかどこかへ行って就職して、たまたま一戸建ての家を借りて庭がありました。喜んで野菜作ってますという人、あるいはマンションだけどベランダにプランターで野菜育てて食べてますという人と、全く作れない人がいる。言われて断片的にやってただけで、何も見てませんでしたという人は作れない。これがすべての体験がそうだとしたらちょっと怖い。同じ時間生きてるのにパッパと捨てちゃって何も残ってない人と、いろいろ知識とか知恵、体験を溜め込んで深く持っている人がいる。

 小説とは何かというと、他の人の知恵と体験を深めたものの集合体みたいなものです。だから心の浅い人は、めんどくさいなと言って、読んでられないです。どうせ絵空事でしょ、みたいな。小説読んでなんの足しになるの。それより新書を読んで、世界経済はどうなってるかのほうが気になる。人の心はいろいろだからどうでもいいよ、みたいな。
 違う。絵空事だろうがなんだろうが情緒深く、本当はわかってもわかってなくてもどうでもいいようなこと、知っても知らなくてもどうでもいいようなことが、実はものすごく心を深めることに役立つとしたら、どうでもいいことにはならないんじゃないですか、ということだね。

 みんなが死んだら、閻魔大王の前に行く。みんなの魂の重さを量られる。軽い人と、ズシッと重い人がいる……というのはたった今、作った話なんですけどね、もしそれがホントだとしたら怖いでしょ。あなたの情緒、心は軽いですか、重いですかという話。これから先、重くなる可能性があるんですか、重くなるような生き方してるんですかということ。
 この間、一緒に研修へ行ったなおちゃんが書いた葉書が、空港から届いた。一緒にいたはずだけど、いつ書いたんだろう、すごいなと。
 ところが、今日は長い手紙が届いた。どこでいつ書いたんだろ。仕事しないで仕事場で手紙書いてるのかと思うくらい。僕が昔、言ったことを細かに覚えてて、この言葉を思い出しましたみたいなことを書いていて、へえそうだったのか、と嬉しくなりました。
 やっぱり、なおは、心が深いんだなと改めて思いましたね。本当に読みごたえのある手紙を書いてくれたんです。
 朝、ポストを見たらポストの中に置いてあった。郵送したわけじゃないんですね。
 ほんとに心の深い人というのは、人生が豊かになるんじゃないか。そう思います。

 だからこの質問の人も、ぜひぜひ情緒をもう1回深くして、何でもかんでも捨てないで深めていく。色んな体験を深めていくというスタンスを持ってやってください。
 同じやるんだったら、どうやったらうまくいくのかなと研究する。それが、面白いことなんじゃないか。僕なんかもこれ(野菜に水をやるために、タンクにつけるバルブ)、いろいろこういうの集めてくるの好きなんですけどね、同じやるんだったら業者に頼んで持ってきてもらったらほうが、高いものになるんでしょうけどすぐつきますよ。でも自分で、少しでも安く、もっと合理的に、もうちょっとみんなが楽になるように、しかも効率よくやろう、効果的なやり方でやっていこうとすると、全部それが面白さにつながるし、自分の体験にもつながっていく。

 新しい人には、お父さんなんでも知ってますねと言われるけど、何も勉強してない。ただ今まで、これはどうしたらこうなるんだろうなと興味を持って、その都度、調べたことや体験したことを大事にして生きてきたというだけです。
 みんなもおばあちゃんになったら――ときどきおじいちゃんになっちゃう人いるんですよ。僕の知ってる編集者で男性だったのに女性になった人もいる――ともかく、みんなはおばあちゃんになるとして、何でも知ってるおばあちゃんになるのか、何を聞いてもわからないおばあちゃんになっちゃうのか、ということですよ。
 情緒も深くして、体験も深くして、やがて物知りのおばあちゃんになっていってください。

 
 

(2019年6月25日掲載)