そうだ、お父さんにきいてみよう!

第184回「いつも怖い」

何も悪いことしてないのに、負い目を感じてしまうのはどうしてですか。
私は無意識に怒られることを恐れています。畑から次の畑へ移動するとき、みんなは走って移動しています。でも、私は朝起きてすぐで、どうしても走れませんでした。
そういうとき、なぜか自分が甘えているように負い目を感じていました。
特に最近は、走らないと怒られるかもしれないと思ってしまいます。
走れないと、普通ではない、とーー。
私がこんな風なのはどうしてなんでしょうか。

・自分の答え

幼い頃から、母親に何か失敗するたびに怒られたり怒鳴られたりしてきたから。
失敗したら見捨てられる、と思ってしまう。

 

 

【お父さんの答え】

まさにこの自分の答えにある通りだと思います。
母親に、叱られる。その怖さが、今も残っているのだと思います。
強く叩かれたりした経験があるなら、なおさらです。いつの間にか自分を守ろうとしてしまいます。叱られないようにしよう、といつも身構えてしまう。
られる怖さがいつも自分の心の中にあり、心の中に自分を見張っている母親がいる、と考えたらいいでしょう。
しかし、実際には目の前には母親はいないのです。でも、なんか叱られるんじゃないかと思う。常に怖さと2人連れです。
そこから抜け出すには、心の中で自分を監視している母親を、心の中から追い出すことです。のびのびと生きる。堂々と生きる。母親と二人連れじゃなくて、1人で生きる。
少し時間がかかるかもしれません。すごく強く叱られた人は、時間がかかると思います。ちょっとだけそういう傾向があるという人は割と早く、抜けられます。
1人でいる時も、同じ怖さがあると思います。つまり、いつも怖いんです。
それは摂食障害の人に共通する怖さとも言えるでしょう。

初期のころ、ここに来る人は、私、個室がいいんですという人が多かったです。その怖さがあったり、人の目から逃げるため、できれば個室に逃げ込みたいと思っている。気持ちは凄くよくわかります。だけど、個室は敢えて、作っていません。
多くの人といつも一緒に過ごす事で、どんどん人の目が気にならなくなっていきます。人と一緒にいても、リラックスできるようになる。個室が欲しいと思わなくなります。
多くの人と共同生活をして、いつも生活の場を共有していると、自動的に母親の怖さを追い出すことができます。
個室に籠ったら安心して、人の目があると安心できない、ということを繰り返していては、その怖さは抜けません。
ここは、いつのまにか心の中の母親を追い出しやすい環境だと思います。そして、意識的に母親を心の中から消していくことで、られる怖さはなくなっていくと思います。
ただ、そういう怖さを追い出すだけでは寂しいと思います。
ここが大事なんですね。たとえ自分が間違っても、自分のことを好きでいてもらえる、と思える人がいる、ということ。ここでいえばなのはなファミリーのお父さん、お母さんは自分が失敗しても、自分のことを好きでいるだろう、と思えるようになることです。
失敗しても自分を好きでいてもらえるんだ、という確信がどーんとあると、安心が日々強まっていって、やがては叱られる怖さもなくなります。
みんなが走っていく中で、自分は走れなかった。それは走らなくて良い、ということです。走れるときは走ったらいいし、走れないときは走れなくてもいい。サボっているか、いないかは自分が一番知っていますからね。自分が知っているというのはすごく大事なことです。僕が思うに、一人ひとりが、神様の支店みたいなものなんです。
心の中に支店があって神様が住んでいる。本当の判断をするのは神様。自分が一番よく知っている。間違ったことはしていない。自分がそう思うのと、神様がそう思うのとがイコールなんです。自分は間違ったことをしていない、と思えばいい。すると、怖がる必要がないと思えるのです。
何か、宗教的な意味の神様というのではなくて、一般的な意味の神様ということで、その神様に深い意味はないです。人の力を超えた、何か神のようなものがある、と思う事が、自分の驕りを消すことにもつながるんじゃないかと思います。

僕は、誰かと作業して一緒に過ごしていると、その人が本気なのか、そうでないのか、真面目なのか、不真面目なのかが、すぐわかります。お互いにそうなんじゃないですか。
真面目にやってると思ったら、遅くても、失敗しても、叱るとか、文句を言うことなんて、何もないんじゃないかと思いますよ。自分が真面目にやってるなら、いつも堂々としていて良いんじゃないかと思います。

 

(2019年5月24日 掲載)