特集-ウィンターコンサート2017

「全力で走り続けて」前半 やよい

■勝央文化ホールの幕が降りて

私にとって、今回の2017年なのはなファミリーウィンターコンサートが初めての出演でした。

私はこの日を迎えるの怖くてたまらなかったです。
お父さんは、「恐怖は自分がつくりだすもの、本当は恐怖というものはない」と仰られていたことがありました。
自分がステージに立つ時間は一時的に私と他の役者でステージが占領されます。

私はみんなの一部ではあるけれど、その全体の流れが途切れて、舞台を壊してしまわないか、自分の些細な油断で他の演出がいいのに私の演技で舞台を台無しにしてしまわないか不安でした。

幕が閉じるとき、今までにない感情が押し寄せてくるのを感じました。涙が出そうになりました。ここで泣くのは格好悪いと思ったのでこらえました。

私は、「やれたのかもしれない」と思いました。私は自分の全力で演じました。自分のなかでは手を抜いたつもりはなく、今の精一杯でやりました。
けれど、必ずしも自分の精一杯、全力の力を出したこと=「成功」になることはないのだと思います。

私は自分から自分に「できた」と確信を持って言うことが出来ませんでした。
自分は頑張ったけれど、私が確信を持って、自信を持ってしまうことが、変に安心して気を緩めてしまいそうで、嫌でした。

最後の挨拶で幕が上がったとき、ゆっくりと上がる緞帳から、燦然と輝く光景が目に入ってきました。数百人のお客様の気持ちを感じました。胸の高鳴りを感じました。

あのときの光景は筆舌に尽くしがたいです。
お客様の反応はとても良かったと思います。暖かくて、賑やかで、活気のある空気をステージの上から肌で感じました。生まれてはじめての体験でした。

ものすごく嬉しかったです。こんなに沢山の人がなのはなの演奏を見て、笑ってくれている、感動してくれている、ということがまじまじと自分に伝わってきました。

自分はあまり貢献できていないけれど、自分もなのはなのなかの一部として表現していたことは確かでした。その表現が今はじめてあったお客さんを感動させていることが信じられませんでした。

まだ見ぬ誰かに、プラスの感情を広められたことが本当に本当に嬉しかったです。
お金が沢山あろうが、高学歴だろうが、どんなに能力が高かろうが、本当の「嬉しさ」というものはそこには存在しないと思いました。

自分の行為によって誰かが喜んでくれる、感動してくれる、安心してくれる、これ以上に嬉しいことはないと思いました。
数百人のお客様の熱気を感じたとき、鳥肌が立ちそうでした。

自分はこんなにも満たされて、幸せな気分になって許されるのか、そう思いました。

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私はなのはなに来るまで、いい意味で涙を流したことがほとんどありませんでした。

親と喧嘩したり、情緒不安定になって泣き叫んだりしたことはあっても、感動したり、うれし涙を流すことはほとんどありませんでした。

けれど、このときこみ上げてきた涙は明らかにいい意味の涙でした。

私は情緒がとても薄かったと思います。気持ちが下がりすぎて、パニックになったり、逆にあがりすぎて、頭がおかしくなったりしたりしていたけれど、その感情のふり幅というものはものすごく浅くて、幅が狭く、表面上だけのものでした。
なのはなにきてから、みんなに新しい世界を見せていただき、自分が学んでこなかったことを教えてくださって、自分の情緒が濃くなっていくのを少しではありますが実感しています。

今回のウィンターコンサートを終えたとき、それを明確に実感できました。
みんなには感謝の気持ちで一杯です。 感謝してもしきれないです。

みんなの力に支えられて、本当に背中をずっと押し続けてもらって、私がみんなの手にずっともたれかかっているような状態だったと思います。

情けない話なのですが、なのはなの力の大きさをすごく感じました。それはウィンターコンサートに向かう過程だけでなく、日々の生活でも感じることです。

私は団体行動が苦手でした。みんな本当の気持ちを隠して、世の中の風潮にあわせて、やる気のないような素振りをわざとする。そんな空気の中に入るのが嫌でした。けれど、自分も攻撃されない程度に自分の存在を消すという意味で差しさわりのないポジションにいれるよう、自分をつくって演じていました。

けれど、なのはなファミリーはいつでも正しい姿を貫いています。お父さん、お母さんの考えのもと、みんなが正しくあろうと、常に向上心を持っています。

今の世の中を考えると、ウィンターコンサートをすることは、勇気のいることだと自分は感じました。
私が、世の中の間違ったモラル、風潮にどっぷり浸かってしまったからそう感じるだけで、間違っているのかもしれないけれど、こんなに「間違ったことを間違っている、正しいことは正しい」とはっきり伝えようとしている音楽劇をするのは勇気がいることだと感じました。

勇気がいること自体、もう世の中がおかしくなりすぎているということだと思うのですが。
こんなに今の世の中を本気で変えようとという気持ちが強くあらわれている脚本はあまりないと思います。
お父さんが、私には想像がつかないほど苦しんで、苦労して書き上げた脚本を、表現者として、少しでも表現することが出来て、本当に幸せだと思いました。

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■動き始めた11月

主要メンバー3人の配役が決まったのが、11月の後半でした。
私は、えりこ役をやらせていただくことになりました。私は、映画、アニメ、漫画、などの物語は大好きで、鑑賞したり、読んだりすることはあっても、自分がその物語のなかに入り、役を演じるということは初めてでした。

演劇経験がなく、何をどうすればいいのか分からなくなりました。けれど、ただ単に脚本を読んで、ただ暗記してもいけないような気がしました。

私ははじめはとりあえず、暗記することは横において、えりこのセリフを読み込むことを中心に練習しました。
何度読んでも、自分は棒読みになっているのではないか、気持ちが伝わっているのか、と考えてしまいました。自分の演技を客観的に見ることが出来ませんでした。

役者オーディションをしたとき、すごく楽しかったのを覚えています。大勢の前でセリフを読んだことはとても、恥ずかしかったけれど、なにかわだかまるものが開放されたような感覚を感じました。「演じる=楽しいこと」という方程式が自分の中ではっきり証明されたように思います。
特に、男役のセリフを読んだときが一番楽しかったです。

いざ、実際に役を与えられて、その役を演じるとなったとき、役を演じることの難しさを実感しました。
自分の中で気持ちを伝えていても、それが自分から離れて、目の前の人に伝わることができなければ演じる意味がありません。
どう、発声したら伝わるのか、自分の中で何度も考えました。

えりこは、どちらかというと男脳ではっきりしています。気丈で正義感が強く、まっすぐでお嬢様で、そして時々天然なところがあります。

光太郎とえりこが主人公とヒロインですが、どちらかというと光太郎のほうが女らしくて、えりこの方が男らしい気がします。
えりこはえりこの心の中で今の世の中に対する警鐘を鳴らしていました。

私は、周りの人間、環境に対する不満が沢山ありました。
みんな暗いほうへ暗いほうへと流されて、それをよしとしている。
能力が人より秀でていることに優越感を感じ、そのことで自分の価値を位置づけ、自分の心を満たす。

私は、生きていく中で人間としてのあるべき暖かみをほとんど感じてこなかったように思います。
私は周りの人たちを好きにも嫌いにもならず、ただただ傍観者で、もうどうでもいいと思っていました。

自分には、何の力もありませんでした。自分も今の間違った世の中に沢山流されていたと思います。
私は希望を持つことをほとんど諦めていましたが、心の奥底では神様を探していました。
私が今の世の中に対する不満があったことはえりこと同じだと思います。

ただ、えりこは「このままでいいはずがない」ということをはっきりと光太郎に打ち明けています。私はこのままでいいはずがないと思っていましたが、それを会ったばかりの他人に話すことはできないと思います。
えりこの「何とかしたい」という気持ちはすごく強いものだと思います。えりこの正義感がすごいと思いました。

今回、私はえりこ役をやらせていただいたことは感慨深いものだと思います。この役を与えらたことに本当に感謝しています。えりこに出会えて幸せです。

私は演技する上で、コミカルなシーンを練習するのがすごく好きだったと感じます。

「ICBM大陸間弾道弾ミサイル発射! 高度4000キロに達する!」のセリフを言うのがすごく楽しかったです。
そのあと、みんなが驚いて七福神、えび天、光太郎がよってくると、えりこが「うそよ」といいます。えりこが冗談を言って、楽しんでいたように私も楽しかったです。

私は、演技するのがはじめてだったので、その参考に2013年のウィンターコンサートをスタッフさんから借りました。時間の都合上すべては見ることは出来ませんでしたが、途切れ途切れで見ました。

主人公のももこ役をされている、卒業生のさやかちゃんの演技中の動きなどを中心に見ました。
初めての読み合わせのとき、私はずっと突っ立ったままで、セリフを言うとき以外は演技することを忘れ、次の自分のセリフを言うときまでただ待っていました。

けれど、ももこは常に、登場人物の発言、行動にリアクションして、少し駆け寄ったり、後ずさりしたり、走ったり、常に舞台の上でキャラクターとして生きていました。
喋り方も以外と早いと感じました。

私は、はじめの頃なるべくゆっくり、大きく、はっきりを心がけていました。私は全部のセリフをそのやり方で読んでしまい、とてもつまらない演技をしていました。
さやかちゃんの演じる姿から、沢山のことを学ばせていただいたように感じます。

また、劇の合間で他のキャラクターのセリフにあわせて、主人公が踊っている場面を見て、こんな風にえりこと光太郎も面白く踊れないかな、と思いました。

ローマのシーンでアウグストゥスと部下が色んな鳥の名前を言っているときに使えるんじゃないか?と思い、なおちゃんに提案しました。
それでなおちゃんと考えたのが「そして、オウムにフラミンゴ!」のダンスです。

七福神の、「柿の木に実が500個つく」のシーンで効果音にあわせて、よろけたり、振りをするシーンもなおちゃんと一緒に振りを考えました。

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私は七福神のシーンを一緒に考えさせていただくこともありました。
正面から見て、動きがそろっているか、見にくくないか、何かいい動きを入れることはできないかなどのことを七福神のみんなに伝えました。

七福神の動きを揃えるのはすごく大変だったと思います。
初期のほうから考えると、何十回と動きを修正したと思います。七福神の存在の解釈を根本的に間違えていて、お父さんに何回も指摘されたからです。

七福神は人生ゲームで悪い升目ばかり出てしまい、激辛ゾーンを乗り切れなくて、困っていました。
けれど、本気で困っていると言うわけではなく、神様なので、神様にとって1つの国が滅んでしまったとしても、それは神様にとっては大きな時代の流れの1つにすぎず、そこまでは心配してはいなくて、ある意味で達観しています。

その点、えりこと光太郎は生身の人間なので本気で日本のことを心配しています。その、人間と神様の拘りはまったく違ったものです。
そのことをちゃんと理解できていませんでした。けれど、毎日練習していって、解釈を何度もしなおして、日々よくなりつつあることを感じました。

みんなと一緒にああでもない、ここでもないと言えた時間が今思うと、楽しかったのだと思います。

脚本が毎日手直しされていくのも、嬉しかったです。毎日少しずつ新しくなっていくので、飽きるということがなくて、毎日面白くなっていくのが嬉しかったです。
なくなってしまったけれど、コンシェルジュで神様の代わりをするという設定も好きでした。

演劇練習ではお父さんの指導の1つひとつの言葉が自分にとって勉強になりました。
私は演劇は未経験で何も知らなかったので、新しい分野の勉強をしているような気分でした。

役のキャラクターの役割、セリフがメジャーなのか、マイナーなのかによって立ち位置が違ってきます。
立ち位置はただ適当に立つというわけではなく、ちゃんとした意味があります。

前半のエビ天のセリフのほとんどは皮肉です。なので舞台の真ん中や前の方ではなく、端の立ち位置になります。
セリフがないときは、体をそのままお客様の方に向けてしまうと次にセリフがあると思わせてしまうので、話している人の方向に体を向けたりします。

数人が横にならんでいると、聞きにくくなってしまうので話す人だけ前に出ます。

お父さんは1つひとつの動作のディティールにもこだわっていました。
記者のメモの取り方、銃の持ち方、槍の持ち方……など、お父さんは常にリアリティを求めていました。

学校の学芸会ではなく、本当の演劇にしたい、という気持ちを感じました。
お父さんのいてくださる演劇練習の時間は楽しかったです。

お父さんの指導してくださる演劇練習の時間は厳しさがありました。
普段の空気が変わって、緊張がありました。みんなの空気も変わります。

私は、この厳しさが好きだと感じます。常に、緊張感があって、時間を意識してテキパキと動く、無駄がなく常に効率よく動く。
そういう空気が常にどこにいてもあったらいいのにな、と思います。

私は、今畑のリーダーをさせてもらっています。
作業のときも、お父さんのような厳しさのある空気を作りたいといつも思っています。
お父さんがその場にいたらどう思うのか、どのようなことを言われるのか、常に考えたいです。

お父さんのいない演劇練習はどこか、ゆるい、優しい空気がありました。
そのことに複雑な心境になりました。もっと、厳しい空気の中で練習したい、そういう思いがありました。

あゆちゃんにそのことを相談させていただきました。

「出来ていない人のしりを叩くのも違うのかな、と思う。そしたら、今の世の中と同じになってしまう。
無理に叱っても、本当に綺麗なものは出来ない。みんなの気持ちがそろったとき、本当に綺麗なものができるんだ。
違う場所で練習しているのに、出はけがぴったりそろったりする」

あゆちゃんは、真剣な眼差しで沢山のことを話してくださいました。
あゆちゃんの深さに自分の浅さが恥ずかしくなりました。

→後半へ続きます。