そうだ、お父さんにきいてみよう!

第8回「自分のことを『僕』『おいら』と言うのをやめられなかったのは、なぜか」

質問

私は、高校1,2年生頃まで、自分のことを「僕」「おいら」と言っていました。
学校では「うち」と言っていたのですが、家では「僕」「おいら」と言っていました。
どうしても、自分のことを「私」と言うことができませんでした。特に家では、恥ずかしさや照れがありました。
「私」というと一人の自立した女性という感じがして、私は「私」と言ってはいけないような気もしていました。
親戚の人に、「『僕』じゃなくて『私』でしょ」と言われたり、父に「お姉ちゃんは自分のことを『僕』って言うのか」と言われましたが、私は「僕」というのを変えませんでした。
私が父や母や兄に対して「私」と言うことができなかったのは、精神的に自立できていなくて、依存していたからなのでしょうか。

 

答え

これは、意外に、本質的な質問です。
この中で、私とか、あたしじゃなくて、僕とか、おいらとか、俺とか言っていた時期がある人いますか?
けっこういますね。
人間は、精神的に追いつめられると、性を捨てるものなのです。
苦しくなると、女性は女性を辞めたくなり、男性は男性を辞めたくなる。
性同一性障害は、それが極端に振れたもので、生きにくさからでているものと考えるべきだと思います。性同一性障害の人も、摂食障害の人と根は同じなんです。
その依存が、性同一性障害に出るのと、過食衝動に出るのと、どちらがいいとは決めにくいですが、人生が大きく本来の道をそれていって逆戻りしにくくなるという点で、性同一性障害は回復が難しくなることがあります。

しかし、性同一性障害的な要素は、誰の中にもあると思った方がいいでしょう。
自分のことを「俺」と言わないまでも、一生、結婚したくないとか、男性恐怖症とか、そういったものも生きにくさが性を歪ませるバリエーションです。
癒しを得られると、それは治ってきます。
拒食症、過食嘔吐も癒しを得ることによって回復するように、性的なトラブルも回復することができます。そして、こういう問題は特別なことじゃなくて、自分のすぐ側にある問題と考えたほうがいいでしょう。

苦しさが、自分の性を認めさせないのです。それも一種の現実逃避だと思いますが、女性が自分の性を恥ずかしく思ったり、自分の性を意識的に男性に近づけてしまったり、しかも無意識にそう持っていってしまうことがあるのです。
自分で自分があることが嫌だ、自分が女であることが恥ずかしい、そう思って自分の中から女を捨ててしまう。
危なかったですね。最初は、自分を「僕」とか「俺」というようになり、そのうち男性的な服を好んで着るようになり、態度や行動も男性的になっていって、異性の男性よりも同性の女性を好きになっていく。そうやってエスカレートしていきます。
やがて、それが固定していってしまいます。

中には、生まれつき性的に不安定な人もいますが、現在では摂食障害が増えているように、後天的な性同一性障害が増えていると考えていいでしょう。
現実的には、隠れ性同一性障害もとても多いのではないかと思います。