*答え*
やっぱりわからないんですよね。 気持ちの持ち方とか、過ごし方とか、誰からも教わってないんです。子供のときから、そういうのを教わる機会がなくなっているのです。 実は、別のことを教わってきちゃっているんです。知らないうちに。 生まれて育った家で、だいたいはお母さんの気分の持ち方を見習ってしまっている。 お母さんの中には、上機嫌、普通、不機嫌があります。 あるいは、年中不機嫌で、口を開けば文句ばっかり、指示ばっかり、というお母さんもいます。 子供に、向かって口を開けば「勉強してないの?」とか--。優しい気持ちっていうのを見る機会がほとんどない。 「ああ、雨が上がってよかったね」というような、何でもない言葉がない。
太宰治の書いた『舌切雀』を読んだことがある人? 舌切雀ね。太宰治が書いています。 おじいさん、おばあさんがいる。おじいさんは優しい。 おじいさんが廊下でひなたぼっこしていると、これみよがしに箒を使って、掃き掃除を始めて、「おじいさん掃除してるんですから。どいてください」とおばあさんが言う。そういう夫婦だったと書いてます。 そういうテンションの女の人は、若いときから同じだし、歳をとっても、嫌味なことを言ったり、やったりします。 自分の夫がごはんを食べた後、ごろんと横になって焼酎を飲みながらテレビを見てると、「私は食器を洗わないといけないんです!」というふうに、わざとお皿をガチャガチャといわせて洗って、イライラしてる人がいるでしょう。 そういうお母さんのもとで育ってると、自然と真似してしまう。 人に物を言うときには命令口調になったり、注意する口調になってみたり。せかせか動いて人を落ち着かせない。そういうふうに倣っちゃうものなんです。 そういう人が摂食障害になると、母親もそうで、子供もそうだから、親子して激しい戦いになりますね。なのはなファミリーに来て、そういうことじゃいけないんだとわかる。せかせかしてはいけないんだ、やめよう、となる。 となると、じゃあ優しく生きるとか、どうするんだろう? どうやったら優しくなれるんだろう、と困ってしまうんですね。教わってないので分からない。周りの人が笑顔を浮かべてても、その笑顔はどこから出てくるんだろう、とわからない。偽善だ、とか思うだけで、優しさなんかあるわけないと思ってしまう。 やっぱり、こうしたい、ああしたいも、優しい気持ちから、ですよね。人のためによかれとか、人のためにこうしたい、というのもどう考えたらそういう所に行き着くのか、分からなくなっているのです。 これはしょうがないです。個人の責任というより、そういうふうに育ってきてしまったということです。これから、この環境の中で、自分の中にそういう気持ちを育んでいくという気持ちを持つしかないです。 ちょっとずつでも、育てていくと育っていきます。育てなかったらそのままです。育てて行くというつもりでいたらいいと思います。 一回コツがつかめたら、ひゅっとわかっていきます。 自転車に乗るときは不思議です。誰でも練習を始めるときは、自転車の後ろを持ってもらって、走ります。手を離されたら倒れてしまいます。 ひょっとしたら、永久に自転車に乗れないんじゃないか、と思う。 ところが、しばらく練習して、なかなか乗れなくても、ようやく乗れたとなったら、こんどは何回やってもうまく行きます。 自転車に乗るコツが分かったら、それからスピード出して上手く走れるようになるまでそれほど時間はかかりません。 2日、3日経ったら、ぴゅーぴゅー乗っています。コツをつかんで、はまったらどんどんできます。 優しい気持ちを掴んだら、それと同じで、すぐにたくさん使えるようになります。どんどん自分の中を優しい気持ちでいっぱいにすることができます。そしたら、やりたいこともたくさん出てきます。 夢とか意思といったものは、優しい気持ちからしか出てこないものだと思います。ずるさや、計算高い気持ちから出た目標は、長続きするものではありませんし、途中で自分で嫌になってしまいます。 だから心配は必要ないです。時間がかかっても、優しい気持ちを自分の中に育てようという気持ちから始めましょう。やがて、目標や夢が出てくるはずです。
|