「縛らなくてもいい」 ななほ

3月21日

 もう、「ちゃんとしなければならない」「いい子でいなければならない」と思う必要はないと思うだけで心が軽くなるのを感じました。

 これまでも、私は「ちゃんとしなければならない」という枠に囚われているから、心を自由に使ったり、時に羽目を外してみたり、遊ぶことができなかったり、それを自分にも相手にも求めるあまり、人間関係においてぶつかってしまうのを感じていました。

 だからといって、じゃあどうしたら、「ちゃんとしなければならない」という考えから抜け出せるのか分からなくなっていたのですが、このミーティングで自分がどうして、「ちゃんとしなければならない」と思ったのかを理解したと共に、これは私が怖さから逃げるために自分の中に作ってきてしまった物だと言うことに気がついて、すごく視界がくっきりしたような感じがしました。

 今日のミーティングで、人は生身の自分と、人知を越えた何者かが作り出した魂のような自分の2人連れで生きているという話が、とても嬉しかったです。
 その話を聞いたとき、(だから私は苦しかったんだ。これに苦しんでいたのか)と心の中で何かが腑に落ちたような気がしました。
 私はこれまで生身の自分で生きてきたから、自分にも周りの人にも、自分を縛ってきたものから来る「ちゃんとしなければならない」という考えを要求していたと思います。

 でも、その正義感もちゃんとしなければという価値感も、心に傷を負った時に、自分を守るために積み上げてきた物だから、基準がずれていて、だから周りの人と衝突したり、時に自滅していたのだと分かりました。

 そして、これまでは「いい子じゃなくてもいい」と意識では分かっていても、無意識でいい子じゃなくなったらどうなってしまうのかが分からなくて不安に思っていたけれど、「いい子じゃなくてもいい」ということは、「いい子じゃないといけない」と思い自分を縛らなくてもいいということだったんだと言うことが分かって、私の中で何かがスッキリしました。

 私たちは人知を越えた何者かによって生かされていて、私の生身の身体は借り物でしかないと思ったら、もう「ちゃんとしなければならない」と自分に鞭を打つことで逃げたり、自己否定や被害感情で怖さから逃げる必要もないし、自分に与えられた使命を感じながらよく生きていきたいと思いました。

 本当に、私たちは利他心じゃなければ生きられないということを、身に染みて感じたし、生きている限り、利他心を軸に、まだ見ぬ誰かのために自分の能力も気力も全て生かしながら、なのはなの子として楽しんで生きていきたいと思いました。

 今日はそのことに気がついて、すごくスッキリしました。
 夕方のハウスミーティングの時間も嬉しかったです。