« ★前のページ  ||  ★次のページ »

「レタスに教えてもらったこと」 えつこ




5月22日

  今日は、自己否定に負けてしまった。
 しかし、たいしたことはない。作業や当番のとき、自分があまりにも仕事が遅いと感じたことが、立て続けにあったのだ。
 前から自覚はしていたものの、自分の出来ていないところを、目の前に強烈に突きつけられた。
 周りの全てが自分を嘲笑っているように感じてしまった。

 悲しくなってくるから、これ以上は言うまい。
 自己否定をしても、みんなのためにはならないのである。
 悪いことは続くものだ。追い打ちをかけるように、悪気なく、心にグサリとくる言葉を言われてしまった。
 なんて失礼なのだと、腹を立てた。
 私はまだまだ、演じたりない。気安い言葉をかけられること自体、演じられていないということだ。悔しい。

 しかし、夜の集合でお父さんのお話を聞いて、私の自己否定は、甘えでしかないと、思った。
 お父さんのように、強い意地で、あの人を演じてやる。(その人の名は、6月16日までは秘密である。)
 今は下手かもしれないけれど、それでも、精一杯に演じるのだ。
 笑われても、誰から何と言われても、私はあの人になりたいのだ。
 私は出来ていないところだらけだが、そんな自分は横に置いて、出来る人を演じてやろうではないか。

 私は本当はもっとおもしろい人間である。
 今は演じ方を試行錯誤しているだけで、役がはまれば、私は素晴らしい人間なのである。
 何でも言うことを聞く生やさしい良い人つまらない人は、私ではない。嘘の姿である。
 私のあるべき姿ではない。意地でも、あるべき姿に辿り着くのである。

 混沌とした心を癒やしてくれるのが、梅林奥畑、梅林手前畑のレタスの存在である。
 一時期、タケノコ球を心配していたが、見事に、本来のレタスの形に軌道修正している。
 我々は何もしていない。
 悔しいことだが、私は間違っていた。お父さんの言うとおりだったのである。
 レタスにも、自身をあるべき形に導く力があるのだ。

 私はレタスを通して、もっと楽観的になっても良いのだと、学んだ。
 楽観的なところにしか答えはないのだ。
 少し弱っている株があると、大多数が正常に育っていることを忘れ、全てが駄目になるのかもしれないと悲観的になり、本質を見失っていた。
 冷静な頭でレタスを見ると、全体的にコンディションは、良いと言える。
 悲観的になると本質を見失うということは、野菜作りに限らず、どんな仕事にも、生き方に対しても、言えることだ。
 私は、レタスに教えてもらった。
 逆境もあったが、ここまで立派に育ったレタスに、尊敬の気持ちを持った。
 人間以外の命あるものに、尊敬の気持ちを持つのははじめてである。

 今心配なことは、虫食いだ。
 草取りと害虫潰しに努めたい。
 それ以外は、基本的に、必要なこと以外はなにもしないつもりである。
 私はレタスを信じている。ほんの少し、レタスの手助けをするだけだ。

 

« ★前のページ  ||  ★次のページ »







登録を解除される場合は、こちらをクリックください。




Copyright © なのはなファミリー―摂食障害からの回復施設―. All rights reserved.
Designed by Theme Junkie. Powered by WordPress sozai by :night on the planetヒバナ
Side effects medicine online pharmacy enter your Health Record number. Best-quality discount drugs http://online-pharmacy-rx.com `[!: Canadian drug stores works with a drugstore. Order and buy medicines through the Internet for the lowest prices in canadian pharmacy <;< generic viagra : Announcements of new drugs. Shares. Best price.