第119回「好きな花②」

前回からの続きです)

 

お父さん:
 こないだキッザニアで働いている人が、休みの日に須磨海岸に行ってきたというメールをくれて、ちょっと返事を書きながら、子供のころを思い出しました。
 僕は子供のときにずっと海で育ってて、夏休みの間じゅう、海に入っては冷たくなった身体を砂浜であっためて、また海に入って、冷たくなったらまた砂浜で身体を温めて――腹ばいになってね――というのを夏の間中、毎日ずっと繰り返して小学校6年までやっていました。
 砂浜に、砂がある。小砂利もある。小さな貝とか巻き貝とかも、たくさん打ち寄せられて海岸にあるんですよ。
 それで、その貝をよく集めていた。5ミリにもならないようなちっちゃい、奇麗な貝なんです。
 それを集めて持っている。集めて山にしておく。また遊ぶ。
 そうすると海水浴客の人が来て、
「その貝どうしたんですか」
 って言うわけだね。奇麗ですね、って。
「この海岸でとったんですよ」
「えっ、ここにあるんですか?!」
 「そこにありますよ」と言うと、探すんだね。探してるなと思ってると、戻ってくるわけ。
「ないんだけど」
「えっ。そこに、いっぱいあるでしょ」
 って、拾ってみせる。
「ほら、これでしょ。これでしょ」
「あっ。これなの」
 見えないんだよね。目の前にあって、自分で踏んで歩いてるのに、その目がないから見えない。
 それとか、バケツに、磯の水たまりでとった魚を入れてくる。ハゼみたいなのもいれば、真っ青な熱帯魚たいなのもいる。
「これはどこにいるんですか」
「それは磯でとりました」
「私たち、網持っていないからとれないわね」
 って言うから、
「いや、手でとれるよ。水たまりだから」
「どこにいるんですか」
「そこにいる」
 行ったらまた戻ってきて、「いませんでした」って。
 ここにいるでしょ、って捕って見せると、あ、いましたねって。
 見えないんですよね。見えないんだなあと思ってね。
 

 それだけじゃなくて、小石も同じです。
 ちっちゃい石でもぼくは、好きな石と好きじゃない石がありますが、5ミリくらいの石、1センチくらいの石を見ても、「これは宝物の石」「これは普通の石」というのがハッキリあるわけですよね。子供のころは特にそうですけど。自分にとっての石のランクがある。
 で、それはただの石で、ただで砂浜にあるので――まあね、10個や20個拾ってきても誰も文句言わないし、ポケットに入れてもかまわない。値段はついてないですけど、僕からするとすごく宝物なんです。かけがえのない宝物なんですね。
 今でも、恥ずかしい話ですけどね、どこか地方へ出た折りに海岸へ行ったりすると、昔の癖で、思わず石を探してですね、石を拾ってポケットに入れる癖がまだあります。
 宝物にしか思えない。
 石はさすがに擬人化して見ませんけどね。
 さすがに石の中に人格を見ませんけれど、宝物のような気がする。
 

 山に入ってもそうなんですよね。
 僕は、子供の頃、山に入って、小さい花とか木とか、取ってくることありました。
 で、いま急に思い出したんだけど、取ってきた樹を庭の片隅に植えていたら、父親が「どうしたんだそれ」って言うから、
「山で採ってきて奇麗だからここで育てる」
「へえ、そんなものが好きなのか」
 それが大きくなってきた。ほら奇麗でしょって。それがツゲなんですよ。櫛にしたりする。
 ツゲって、葉っぱが丸くてちっちゃいんですよ。
 考えてみたら、僕はちっちゃい花がいっぱいついてるとか、ちっちゃい葉がいっぱいついてる植物とかが、好きだったんですね。今言ってて思いましたけど。繊細なのが好きなんですね。
 

 ケヤキなんかも好きですよ。
 僕は盆栽の趣味は無いですけど、ケヤキの葉は、形がいいですよね。ちょっとギザギザとして。“葉っぱ”っていう形。山の葉っぱを描くときの典型的な形。
 苗を集めて、その辺のちっちゃい鉢に植えたこともありますが、じっと見てると、林の中にいる感じになります。自分が小人の気分になったら、もうりっぱな林ですよ。
 小さなケヤキの苗を10本か15本集めて寄せ植えにして、下に苔でも敷いたら、自分で作った林の中にいるような気分になれるんですよね。
 場合によるとそのケヤキの苗はタダですよ。いや、普通タダですよ。ケヤキの大木の下には種がたくさん落ちます。だから、大木のケヤキの下にはいっぱい小さな苗が生えています。みんな踏みつけられて、だいたい育つ前に駄目になっちゃいますけどね。
 もう、そんなのをタダで採ってこれる、というのは贅沢ですよね。
 自分の作った、ちっちゃい、ケヤキの林の中に空想をふくらませる……。僕、子供のころそんなことばかりして遊んでいました。
 
 苔を見ても、胸がときめくんですよ、実は。
 みんな畑に行ってるでしょ。で、裸足でみんな帰ってくるとき、道の隅に生えている苔の上を歩いて帰ってきてきませんか。柔らかいからね。アスファルトの道路の横っちょに苔があるでしょ。僕は気に入ってる苔と、あまり気に入ってない苔があるんですけど。
 あれもったいないなと思いますよ。あれ集めて、ちっちゃい簡単な植木鉢に入れたら、売れると思います。これホントの話。
 変な話だけど、宝物なんだよね。その辺の野の花とかは、全部、宝物だと僕は今でも思ってますよ。

 前にも言ったかもしれないけど、子供が小さい幼稚園くらいのときに、実家に連れてったら、庭に落ちている石をポケットにいっぱいギュウギュウにしてるわけ。特に奇麗でもない、なんでもない石をね。ギュウギュウにしてるわけ。
 「すごい、すごい」って、石を集めながら言ってるんだよね。
「なんで、そんなただの石をポケットに入れてるんだ?!」
 と言ったら、
「お父さん、こんなに石がたくさんあるんだよ」
「石は東京の公園にもあるだろう」
「お父さん知らないの? 公園に石は無いよ。砂しかない。珍しいよ、こんなにたくさん石があるのは。だから持って帰る。お父さんも持って帰ったほうがいいよ」
 そうなんですよ、子供にとって石って宝なんです。お父さん、こんなおっきな石珍しいよって。
 石だらけの海岸に連れてったら、「おおー!」って言って感動するでしょうね。宝物だ! って。
 そうそう、あゆも、群馬県に行ったときに言ってたことがあった。

 それは火山の近くで、火山岩があるわけ。軽石がね。そしたら宝物だと言って、夢中で集めていた。

お母さん:
 お父さん、長々と話ししてるけどね。
 お母さんやっぱり、みんなを見てて、小さいときほんとに自分が宝物だと思って、石でもなんでも、プレゼントしたりしてた。
 お母さんが小さい子供の時、月見草を見つけてそれを大人の人にプレゼントしたら「これは頭痛の薬なんだよ」って言って、喜んでもらえなかったことがあったの。「この花をとってきたら駄目」って言われた。
 お母さんは黄色が好きで、黄色の月見草がすごく奇麗で可愛いなと思ったのに、そう言われたときのショック――。
 子供心に。みんなも覚えがある人がいると思うんだよ。奇麗な石だなと思ってプレゼントしても、次の日には庭に捨てられていたりとかね。そういうのはすごく子供を傷つけるよね。
 こういう気持ちは、ものすごく大事に育まれないといけないんだろうなと。

お父さん:
 古吉野では「お父さんプレゼントがあります」って言われて、手を開いたらセミの抜け殻。それも嬉しいですよね。
 

 ただ、ちょっとみんなも覚えあると思いますけど、苦しくなってしまうと、花を奇麗と思わない。子猫を見ても可愛いと思わない、子犬を見ても可愛いと思わない。
 可愛いとか奇麗という気持ちがどこか無くなっちゃって、感じることができなくなってしまう、ということがあるんですよね。
 だからそういう、奇麗だとか可愛いというのは、誰もが当たり前に同じくらいの量を持っているものじゃなくて、時には無くしてしまったり、時には普通に持ってたり、時には深く持っていたり、というものなんじゃないかなと思うんですね。
 

 特に、自分が辛かったり苦しかったり悲しかったりしているときに、その自分の気持ちにちょうどぴったりな花を見たら、本当に救われると言うか、「ああ、お前も僕と、私と同じ気持ちなのか。私と同じ辛さを生きてるのか」と思ったら、本当にに癒やされるということがあると思いますね。
 そういう意味ではすごく有名な高い花じゃなくても、野の花でも、「ああお前は、私と一緒だね」って思うようなね。そういうことがあるんじゃないか。
 それに心を通わせたり、あるいは深い思い入れを持てたりするんじゃないか、と思いますよね。
 

 で、あの、今の子供たち、テレビを見ていて、テレビゲームをやってという子供たちのことを僕は思うと、それで頭を一杯にしちゃった人というのは、野の花で何の値段もついてない、大きくもない、小さくて目立たない花を見たときに、なんとも、思い入れを投影する対象だとさえ思わないんじゃないか。
 あることさえわからないんじゃないか。目に入らないんじゃないか。そんな気がしますよね。
 そういうものを見る気持ちというのは相対的なものだからね。
 本当に、そんなふうになってくると世の中がどんどんギスギスしていったり、つまらない世の中になっていっちゃうんじゃないかな、という気が、します。
 

 やっぱり花とかというのは、自分の心を映すもの、というふうに僕は思いますね。
 だから、心を映す。どこかしら、擬人化して見ちゃうんじゃないでしょうか。
 まだ花を奇麗だと思わない人もこの中にいるかもしれません。そういう人なんかちょっと、花を擬人化してみたらどうでしょうか。人だと思ってみたらどうでしょう。

 

 

(2018年9月25日掲載)









第66回「自己否定について」
第67回「友達が欲しい人、そうでない人」
第68回「未来を信じる」
第69回「山を登ると」
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第71回「自分から人を好きになる」
第72回「小さいころからの恐怖心」
第73回「お姉さんのような存在を」
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第75回「大きな希望を持つとき①」
第76回「大きな希望を持つとき②」
第77回「夢について・集中力について」
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第79回「やるべきことをできていなくて苦しい②」
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第81回「高いプライドをつくるには」
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第1回から第65回までの「お父さんにきいてみよう」は、
こちらからご覧いただけます!
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