○美味しいお米ができますように
「美味しいお米を作るぞー! エイ、エイ、オー!!」
なのはなファミリーの田んぼの手植えは、石生一帯に響くような田植え宣言ではじまりました。
機械での田植えは土曜日からはじまり、今日の午前中が最後の1枚でした。そして、午後からの手植えの3枚の田んぼで、今年の田植えはすべて終わります。
「美味しいお米ができるようにという気持ちを込めて、みんなで楽しもうね。手早く綺麗に植えて、良い仕事にしようね」
お母さんが、こう話してくれました。田んぼの神様、お米の神様がきっといて、私たちが心を込めて苗を植え、みんなと心をひとつにして楽しんだのならば、きっとそこに美味しいお米が出来るのだと思いました。私も、保育園裏の田んぼの手植えをみんなと一緒にしました。
稲の苗は、綺麗な濃い緑色で均等に生えそろっていました。種籾の芽出しからはじまり、播種、苗の水やりをして、ここまで育ちました。
みかちゃんとなるちゃんが中心になって苗の管理をしていました。苗がうまくいかないことには、お米作りは始まりません。なのはなの1年分のお米をつくるという大きな責任と、そこにある豊かな喜び。
私はみかちゃんやなるちゃんの姿を見ると、畑や田んぼに向かう気持ちの美しさや、強さに尊敬の気持ちを抱きます。今日は苗を植えながら、こんなに強くて綺麗な苗を植えられることが本当に幸せだと思いました。
盛男おじいちゃんと永禮さんも、田植えに来てくださいました。おじいちゃんは、こんなにたくさんで並んで植えたら、1人1つ、2つでも進むんじゃないかと言って、笑顔でみんながあぜに並ぶ姿を見てくださっていました。永禮さんは、あゆちゃんと目印になる水糸を持って進む役割を手伝ってくださいました。
「移動しまーす」「OKです!」「スタート」「3,2,1……ピピー」
お母さん、永禮さん、あゆちゃんの声が途切れることなく続きました。
60人近くの大家族で一斉に田植えをすると、1枚の田んぼが終わるのがとてもはやかったです。保育園裏奥田んぼは、場所によってとても深くなっていました。私の植えていた所も、はじめのほうは膝上まで足が泥に使っていました。こういう場所は、機械で植えるのはとても難しいです。代掻きではトラクターがどろにはまってしまいました。人数がいて、手植えができることは本当に大きな力だなと思いました。
右隣にいたあんなちゃんは、田んぼの幅が広がると、端っこの人が大変にならないように、「ここに2人くらい来てもらえると嬉しいです」と声をかけてくれました。左にいたまあちゃんは、私の手元の苗が少なくなるとすぐに気がついて持っていた苗をちぎって分けてくれました。
水が深いところでは、泥に苗を植えて指をひゅっと抜いても、苗の頭がほとんど見えなかったです。泥を寄せてしっかりと植わるようにしても少し心配でした。でも、盛男おじいちゃんが大丈夫だ、と言ってくださいました。
途中でみんなでカメラの方を向いて写真を撮りました。今回は、カメラ、ビデオはちさとちゃん、まえちゃん、かにちゃん、みくちゃんの4人体制でした。
田植えの良い写真が撮りたいということで、準備がされてきました。
はじまってしばらくして、苗を植えることにが慣れてきて良い調子になってきたなと思った頃、もう反対側のあぜに到着してしまいました。はやいねえ、とお母さんが笑顔で言ってくれました。
1枚の田んぼが終わると、到着した側のあぜに全員が並んで、写真を撮りました。スタートした側のあぜにいるかにちゃんを見ると、太陽がまぶしく照っていました。
総指揮とタイムキーパーのお母さん、お父さん。あぜから見守ってくれる盛男おじいちゃん。水糸を張ってくれる永禮さんとあゆちゃん。写真を撮ってくれる人。あぜから苗をちぎって投げてくれる人。そして、田んぼで植えるみんな。保育園裏の田んぼは、なのはなの家族に囲まれていました。
なんだか田んぼも苗も、私たち家族の一員になっているような気持ちになりました。田んぼと、私たちが一体になっていました。ここ(田んぼ)にいられることが、とても安心するなと思いました。
美味しいお米を作ろうという気持ち、田んぼを大好きな気持ち、楽しさ、真剣な気持ち、たくさんの思いが稲に込められて、手植えは進みました。
いまはもう手植えをする人はいないと思う、と盛男おじいちゃんは話していました。泥の感触も、稲を植えるときの手の感覚も、とても貴重なモノなのだと思いました。この体験、この風景、そのひとつひとつを、大事にしたいです。
私が古吉野に帰る途中も、ずっとお父さんの声やみんなの声が聞こえてきました。吉畑のところにいても、聞こえました。他のどんな音も聞こえなくて、まるでなのはなが田植えをする場所だけが時間が動いて、際立っているように感じました。家族全員で手植えをするという特別な日、という気持ちがあるからそう思ったのかもしれません。
夕方の4時前には、3枚の手植えを終えてみんなが帰ってきました。とてもはやく終わったことに驚きました。
お父さんが、夜の集合でお話をしてくれました。いま、天候に左右されない水耕栽培の研究が進んでいます。けれど、たとえ科学的に田んぼの土(泥)の中の成分を分析して、そのすべての栄養素を水に溶かしてしたところで、美味しいお米が作れるはずがないとお父さんは言いました。
田んぼの泥の中には、分析できない得体の知れない“なにか”があって、それがお米をお米たらしめるのだと言いました。
その『得体の知れない何か』は、私が生きていく上でとても大切なものなのだと思いました。そして、自分たちで苗を植えて、育てて、収穫する、という所までを体験することで、そのなにかを感じることができるのだと思います。
世の中は、科学的に分析できることや、計算できることばかりではありません。お米を作ったり、野菜を育てることは、それを越えたところにある、自然の力を知ることができます。生きていくときに、自分の力の及ばないものがあることや、その大きな力に生かされていることをいつも忘れてはいけないと思います。
私はいま勉強をしています。勉強をしていると、ついつい、理屈が中心になってしまいます。
知識をつけて、自分の幅を広げていくことは、もちろん必要です。けれど、もしかしたら、本当に仕事のできる人や、新しい仕組みを作る人というのは、自分の持てる能力を最大限発揮した上で、最後の所は神様に祈るような気持ちを持っているのかもしれない、と思いました。
そういう人は、自分の力の及ばないなにかに対する謙虚な気持ちを持っているのだと思います。私も、こうしてみんなと一緒にお米を作ることや、野菜を作ることを経験していく中で、気持ちを正していきたいです。
今日はみんなと田植えができて嬉しかったです。ありがとうございます。