ね。なんだと!? っていうね。今まで、市民の全家庭に、燃えるゴミ燃えないゴミをきっちり分別させといて、まとめて燃やしてたって、いい加減にしろって怒りたいと言っても、僕は何を言いたいかというと、人間の労働はそんなもんなんですって。 きちっと分けました! っていう労働が何の成果にも結びつかないってこと、あるんだよね。僕は今まで60年生きてきて、今まで有益なことをどんだけしただろうかと思うと、甚だ自信がないんだよね。
あるいは、長い歴史の中でね、人が一人、何を残せるだろうか。どれだけ頑張ってもね。 ……あ、最近、何か読んで調べものしてて、大変なことが分かってしまいました。 ジャンヌ・ダルクは、アスペルガーだったらしい。癲癇気質でね。なんて言うのか、癲癇気質というか、普通の人じゃなかった。からこそ、普通じゃないことができた。 話は関係なくなりましたけど。いいですよ、ジャンヌ・ダルクみたいなことやって……あの人は処刑されたのかな、でも何か一つ、歴史に残ることをできましたよね。 だけど、なんて言うのかな。歴史の中でね、ほんとに人類に貢献した、って名前を残せるような働きをする人がね、何人いるでしょうか。 つまりね。ゴミはそんなに一生懸命分別しなくてよろしいっていうね。言ってみるとね。人生の仕事で、ありとあらゆる仕事は、一生懸命やらなくてよろしいっていうことにね、なっちゃうんじゃないかな。ここぞというときに頑張ればいいんであってね。 普段は頑張らない。 誰かの評価を得るために頑張らない。自分がカッコつけるために頑張らない。 役に立たない人間でいること。 誰かの詩にもあるよね。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』。 「ミンナニデクノボートヨバレ」。デクノボーと呼ばれていいんです。役に立つ人だ、立派な人だって思われないことですね。 雨ニモマケズ風ニモマケズ、何をやってるかというとね、あの人、何も役に立つことやってないんだよ。「ヒデリノトキハナミダヲナガシ」。あの、あまごいの踊りさえやってないんだよ。 「ダイジョウブカトイッテヤル」。医者を呼ぶわけじゃないんだよ。ほとんど役に立つことしてませんよ。よく読んでみると。 雨ニモマケズ風ニモマケズ、何か役に立つことしてるか。ほんとに読んでみてください。役に立たないことばっかりやっててね。 人間っていうのはそんなもんだということですよね。 この人もね、眠気ニモマケズ過労ニモマケズと言ったってね、大したことやれないんですから、それをね、なんかこう、自分がやるべきことができずにイライラした!! みたいに思うのはね。
なぜかって言うと、子供のときに、親にね、もう、追われて、鞭で尻を叩かれるようにして何かやってた、走らされてきた、癖が残ってるんです。ってことなんです。癖が。 さっき、車の中でも言った。 「明日は日曜日だね。ほっとするなあ」 僕は、ハッキリ言ってね、フリーのジャーナリストをずっとやってきて、サラリーマンはたった1年しか経験ないんですよ。出社日も退社時間も関係ないんです。自宅と仕事場とか事務所で、仕事してて、取材に行ってるんでほとんど事務所も空にしてるし。僕の上司っていませんからね。 誰にもとらわれない。 それなのに、日曜日となると、ほっとするんだよね。なんでだろうなあってね。 で、物書きやってたときも、ウィークデーだと会社から電話が来たりね。編集者から原稿催促の電話が来る、とかがあるんです。日曜日ってのは、あんまり電話が来ないんです。 そうすると日曜日って、ほっとするんですよね。 ほっとして、ゆっくり原稿書く。 今、考えてみたら、なのはなファミリーは土曜も日曜もお盆も正月も、休みじゃないですよ。ないのに、何故かほっとする。これは長年の癖でしょうね。日曜日は遊んでていい、ということに世間がなっているので、何をしていても許されるような感覚ですよ。実際は日曜も仕事してましたけどね。
僕、いまも平日は遊んでいるようなものだけど、一応、平日となると仕事してるふりをする。
あのね、原稿書いてるでしょ。それで、徹夜するでしょ。徹夜して、そのまま昼前の午前11時か12時くらいまでかかって原稿書いてようやく編集者に送って、ああやれやれとなると、顔はヒゲが出てて、むくんだ、脂っぽい顔してる。それで、そのままフラッと近所に買い物に出ると、 「ああ、小野瀬さん。今日休みですか」 って言われる。魚屋さんに。今の今まで仕事してたんですけどって言うと、「え、なんて?」って。八百屋さんも魚屋さんも、1、2度は説明したけど理解してくれないんだね。仕事というのは、ネクタイを締めて、平日の昼間にしているものという思いが世間の人にある。なかなか夜中から徹夜して仕事して終ったから、もう遊んでていいというのを理解してくれない。 そのうち、仕事をした直後でも、 「休みですか」 「ああ、休みでーす」 なんか、遊び人だって見られているなっていう後ろめたさがあります。
不登校の子供ってだいたいそうなんです。この中にも経験がある人がいると思うけど、午前中とか午後の早い時間、どうせ不登校なんだけど、その辺のコンビニとかうろちょろしにくい。夕方5時頃になったら堂々と歩けるでしょ。ちょうどそんな感じ。 昼間は、休みの日と決めていても歩きにくい。ジャージ着たり、テレンコテレンコしてる。日曜だと、「休みですか」って改めて聞かれないんだよね。水曜あたりに白いワイシャツを着ないで、ドロドロ歩いて行くと、 「(不審者!)……休みですか?」 世間の目は厳しいんだよね。 「休みですか?」 「ええ、たまたま……」 そういう罪悪感。 この人はそういうふうに、厳しく追い込まれてきたので、寝てるだけでも罪悪感がある。 お母さんだってそんな感じするよね。 やっぱり、僕らの世代からは、夜遅くまで働いているのがいいという風潮があった。お父さんの帰りが遅いというのは、僕らの時代、自慢でしたよね。 「うちの夫はいつも帰りが遅くて」 「そう、大変ね」って言いながら、稼ぎのいい夫だからと自慢してる感じになってる。 「朝も7時前には会社に行っちゃうのよ!」 立派だね、すごい働いてる感じ。昔の人。 子供だってね。 「何時まで勉強してるんですか?」 「夜中の1時くらいまでやってます」と言うと、うーん、感心、感心、みたいなね。 卒業生で、ここから高校に通ってた、優秀な子がいるんです。 「うち、夜は10時消灯です」 「え!? そんなんでいいんですか」 って先生もびっくりする。 遅くまで頑張ってると評価されるみたいなね、未だにありますよね。その呪縛から逃れられてないっていうことです。
例えば僕なんかね。みんな信じないでしょうけど、高校のとき、肩より長い長髪で、パーマかけてました。なんかね。こう、打ち破りたい!! っていう気持ち、あるじゃないですか。期待を裏切りたいという。 それで長くしててね、小野瀬は長髪なんだ、というのが浸透してきたら、いきなり五分刈りでビシーッとつるつる坊主にすると、そのギャップ、面白いですよね。自虐的ですよね。いきなり、てるてる坊主にして、ヤクザチックに。そういう期待を裏切り続けていくというのは気持ちがいいものです。 真面目少女も、自分で打ち破っていけばいいんです。 ただ、今から、髪を五分刈りにしないでくださいね。みんなね、なのはなの評判落としますからね。それはやめてもらいたいけど。 だから、こういう場合には、怠惰な自分を演じてみる。それで自分の中の福の神を追い出す……じゃないな、真面目っぽさを追い払うというのは、いいんじゃないでしょうかね。 ダメな自分を演出してみるって、いいんじゃないでしょうかね。
僕、小学校のとき好きだった、Wちゃんという女の子がいたんです。この子が、県立高校を受けて、あろうことか落ちてしまったんですね。小学校のとき、ものすごい頭良かった。深窓の令嬢という感じの子で、すごい字が綺麗だった。 それが、なんでもないただの私立女子校に行くことになっちゃったんです。 ある朝、水戸の駅前でWちゃん見たら、スカートがこのへん(くるぶし)まで。で、マスクかけて。ズベ公になってるんですね。もうね。 ガビーン!! あのW・Iちゃんが……! 彼女は、自分がエリートコースから外れてしまったという屈辱に耐えられなかったんでしょうね。どうせならと、ズベ公まで一気に駆け下りたんでしょうね。さすが、Wちゃん。イメージ打破、大成功! その後の人生、知りませんけどね。胸痛むものがありましたけどね。 自分の殻を破る。いい子じゃなくなるっていうのを演じてみる。いろいろやりながら、自分の本当のキャラクターを……本来のキャラクターを、探し当てる。そういうことがいいんじゃないでしょうかね。
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